●航空機の国際的な利用は、第1次世界大戦終了後に広まった
「航空機事故ゼロをめざして」というタイトルでお話してきました。今回からは、「航空安全向上に向けて」という内容になります。東京大学大学院工学系研究科・航空宇宙工学専攻教授の鈴木真二です。
航空機の国際的な利用は、第1次世界大戦終了後に広まりました。当時問題となったのは、領空主権の考え方です。つまり、その空は誰のものかということが問題となり、また領空主権に関する国ごとの規則の差異も課題となりました。
1919年にパリ国際航空条約が締結されます。この条約には日本を含む26カ国が署名し、その後11カ国が批准、1922年に条約が発効されました。その中で、それぞれの国は自国の領土と領海の上空に主権を持つという領空主権の考え方が採用されたわけです。パリ国際航空条約では、次のことに関して取り決められました。すなわち、航空機の国籍、飛行機が安全であるということを証明する耐空・性能証明、外国領土の上空飛行許可、また出発・飛行中・着陸時に順守されるべき規則、国有機、国際航空委員会の設置などです。
耐空証明とは、航空機の強度・構造・性能が、安全性および環境保全のための技術上の基準に適合するかどうかを検査し、その基準に適合していると認める証明です。基本的には、今日の全ての航空機にも、この耐空証明が必要となります。
●戦後、国連の専門機関、国際民間航空機関(ICAO)が発足する
ただし、この条約にはあまり多くの国が参加しなかったということがあり、実際に有効な国際条約ができるのは第2次世界大戦後になってからでした。さらに本格的な国際民間航空に向けて、第2次世界大戦終結前の1944年に、シカゴで民間航空に関する国際会議が開催され、国際民間航空条約、いわゆるシカゴ条約が採択されました。ここでは領空主権が再び確認され、国際民間航空を効率的に安全に行うことを目的に、より多くの国が参加したわけです。
戦後になると、国連の専門機関である国際民間航空機関(International Civil Aviation Organization, ICAO)も、1947年に発足します。本部はカナダのモントリオールにあります。190カ国が加盟しており、日本も1953年に加盟しました。
ICAOシカゴ条約にはANNEXと呼ばれる付属書があり、そこでさまざまな国際航空に関するルールが決められています。これを批准した...