●人工知能が発展しても、世の中はそれほど変わらない
長谷川 最後に根本的な部分として、どうしてこのような人の働きや情報処理を代替する高度な人工知能をつくりたいのか、ということをお聞きしたい。
松尾 (つくりたいというより)知りたいということと近いですね。
長谷川 つくる可能性がある、つくることができる、つくりたい、というのは、われわれの側から出てくる要求ですよね。それでは、それができたときにどのような世界になり、そのときにどういう生き方になるかという将来像に関してはいかがでしょうか。
松尾 僕は、人間の生活はそんなに変わらないと思っています。例えば、今でも別に頭が良い人が一番偉いわけではありません。経営者は、自分よりも頭が良い人をお金で雇って使っているということでしょう。そういう感じだと思います。
●人間の価値は、今後劇的に変わっていくのではないか
長谷川 そうですか。私は「人間は全然変わらないだろう」というのは、とても人間を楽観的に見ていると思います。というのは、いろいろな技術が発達してきて、全体的に人間が楽な暮らしをするようになりました。それで、国家などによっては、昔の部族社会から急激に変わっていきました。私も、人間の根本の部分にある人間性は変わらないとも思うのですが、周辺の、そうではない可塑性の部分はものすごく変わっていると思うのです。
例えば、今、私たちは時計があり、カレンダーがあり、仕事というものがあり、という世界に生きています。だから、うつになったり不適合も出てきたりするわけですが、狩猟採集社会にはそうしたうつのようなものはありません。ただ、本当にないわけではありません。うつを引き起こす脳機能は1番古くからあるそうで、ネズミにもうつはあります。ということはつまり、「やってもやってもうまくいかない」という経験が重なると落ち込んでやめてしまう、という脳の仕組みはかなり古く、哺乳類なら誰でも持っているものだということです。それは適応的だからです。
狩猟採集民も、そのように嫌なことがあると、ずっと引っ込んでいるということはあったでしょう。しかし、うつ状態はあっても、それを全く社会病理だと思わないのです。カレンダーもなく、時計もないから、別に9時・5時でやらなければいけないというわけではありません。ですから、適当に皆で狩りに行くけれど、「あの人、この頃ずっと落ち込んでいるよね。でもいいんじゃない」というような、そうした世界だったのでしょう。
ですが、今のような社会になると、本当に時間を管理されるので、それが病気として認識されます。このように本性的に変わらないところは変わらなくても、日常的にやっている可塑性のある部分は激変したと思うのです。
今までの技術は、身体機能の延長が例えば自動車になるなどしてきたわけですが、AIは情報処理技術なので、脳そのものの代替の部分になるでしょう。そうしたものが本当に出てきたとき、この社会で育つ子どもがどんな世界を描いて、また人間の価値をどのようなものとして見るのかは、私たちとは全く違うのではないかという気がします。
松尾 それは、そうかもしれないですね。インターネットが出てきただけで、かなり違いますから。
長谷川 それはかなり違うでしょう。例えば、電車の中では誰もがスマートフォンを利用しているので、他の人のことを気にすることが減っているとか、ペットボトルで少しずつ飲み物を飲むようになったから、皆でお茶をするということが少なくなっているとか、あるいは全部スマートフォンで済ませようとするから、時間ぴったりに来なくても謝ろうとしないとか、スマートフォンを使っていて3秒以内に返事が返ってこないと友達ではない、などということを聞くと、今の若い世代の人たちは信頼といったものに対する認識や感覚が全然違うのではないかという気がします。
●テクノロジーの進歩により近い将来、人は死ななくなる
松尾 やはり世代の時間感覚と、テクノロジーの速さが合っていないので、そこに関するリスクがあるかと思います。その観点でいうと、ドラスティックな変化として、もうすぐ人は死ななくなるのではないかと僕は思っています。
ですが、そのときにどうなるかはよく分かりません。山中伸弥先生(京都大学iPS細胞研究所所長・教授)によると、遺伝子工学的にはおそらく120歳ぐらいまでは寿命が延びるそうです。また、身体の一部をiPS細胞や機械と置き換えていくと、レイ・カーツワイル氏が限界脱出年齢というようなことを言っているのですが、科学技術によって1年当たりの平均余命の延びが1を超えていき、結果的に人が死ななくなるというのです。そういうことが割と近い将来起こるのではないかと思っています。
そうすると、教育というより...