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人間の知性を超えた知性はあり得るのか?

知能と進化(5)人間の知性と限界

情報・テキスト
総合研究大学院大学長・長谷川眞理子氏と東京大学大学院工学系研究科特任准教授・松尾豊氏が次に議題に挙げたのは、人間の知性の限界についてである。両者の専門的見地からすると、その限界の外にはどのような知性があり得るのか。(全8話中第5話)
時間:10:10
収録日:2018/04/09
追加日:2018/07/21
≪全文≫

●意識プライヤーは、他者の発話も教師データにできる




松尾 先ほどのプライヤーの話にはもう少し続きがあります。最近ヨシュア・ベンジオ先生(モントリオール大学教授)が意識と言語をモデル化する「意識プライヤー」というものを提唱し始めているのです。

 少しややこしいのですが、この図の下部にある「観測状態」は、要するにセンサーとして入ってくる状態で、これがリカレントニューラルネットワークに入ると、もう少し高次元の、隠れ変数というか、隠れ層の状態になります。つまり、抽象化された状態になるのです。抽象化された状態、すなわちすごく高次元のベクトルに対して、アテンションという機構があり、そのベクトルの中のどこに注目するかを再び指定するようなネットワークがあります。それを「意識状態」と名付けていて、この一部が「発話」につながるというモデルを立てているのです。

 これのすごいところは、どの要素も今すでに提案されて使われているディープラーニングの要素技術で実現できるということです。こうすると何が良いのかというと、あるもの、例えば大きな犬がいたときに、誰かが「大きな犬」、「大きい」、「犬」といったことを言う確率が高いわけです。そうすると、そうした他者の発話も教師データにして、意識状態を学習し、「表現状態」を学習し、観測状態を学習し、といったように戻していけるのです。自分だけではなく、他者の発話も教師データに使うことができ学習が促進されるということです。

 そういう意味で、プライヤーは学習を速くする道具ということで、このように定式化をしようとしているのです。


●虚構を信じることができるのは、2つのRNNが独立だからである


松尾 また先ほどの話のように、認知運動系RNNと記号処理系RNNがあるわけですが、僕は、どこかの段階で記号処理系RNNが認知運動系RNNより単独で動けるようになったと考えています。これは、「虚構を信じる」ということとほとんど一緒なのだろうと思います。

長谷川 そこが、私としてはすごく面白いところだと思っています。虚構をつくって信じていくには、虚構を信じられた方が信じないよりも心が安寧であることが必要です。だから、説明ができることの方が、説明ができないより良いし、皆でうなずける方が、うなずけないよりも良いという、心の快楽の状態がないといけません。それで説明ができないと、神様や悪魔などを持ち出して説明をしてしまいたくなるのです。ですから、それを説明できませんと言われるよりは説明できると言った方が楽しいのではないでしょうか。


●人はビジョンを掲げた方が団結する


松尾 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書『サピエンス全史』はどう思われますか。

長谷川 良いと思いますけれども、いかがでしょうか。

松尾 僕も、もしかしてあれはすごく良いのではないかと思っています。最近、実世界でも意識するようにしているのですが、人はやはりビジョンを掲げた方が団結するのだな、と思っています。

長谷川 そうだと思います。だから、どちらが先なのかは分かりませんが、環境が変動するなどいろいろなことが起こると、集団が一緒に何かをしないといけなくなるという状態、しかもただ一緒に動くだけではなく、一緒に協力して何かをしないと駄目になるという状態になると思います。

 そのときに、どちらにせよ少人数しかいないわけだから、お互いに顔が分かりコミュニケーションが取れるような50人あるいは100人の中で、お互いにまとまるには何らかのシンボルが必要です。それが高じると、ビジョンのようなものが必要となるのですが、それがあるときとないときがあるしょう。それから、英語でいう「cause」、つまり大義名分がある方が良いでしょう。「これはこういう大義名分があるから死んだっていいのだ」というように、「causeのために」といって皆が動くことになるわけです。


●人間のやっていることは本当の意味での論理的な知性ではない


長谷川 ですから、人間がやっているいろいろなことは、本当の意味での論理的な知性では全くないと、私は思います。そうではなく、そこでは心を読み、お互いに心と視線を共有し、「ここに何があるか」を互いに了解し合って、もっと良くするにはどうするかを了解するということが行われているのだと思います。そして、そうしたことがうまく運ぶための手段が、今人間が持っている言語や論理の構造とは限らないと思うのです。

 ですが、われわれはそれしか知らないので、それを論理だと思っています。ですから、人間が考えてつくり出せるものが、本当に唯一の真理を示す方法とは限らないですよね。

松尾 限らないと思います。そこにはいろんな側面があります。

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