●慣性の法則、運動量保存の法則、虹の原理
物理学の法則で言うと、他にも慣性の法則があります。慣性の法則とは、力が働かない限り、物体がその運動状態を保存するという法則です。つまり、力が働かない限り、静止しているものは静止しているし、一定の運動で動いているものは、宇宙の真空状態のように、力が働かない限りずっとその速度で動き続ける、これが慣性の法則で、運動の第一法則などと学校では習うと思います。
それから、運動量保存の法則もデカルトが定式化しました。総運動量とは孤立系の運動量の総和のことで、総運動量は常に一定値を保つという運動量保存の法則も、現代物理学の非常に重要な法則ですが、これも彼が定式化したのです。
さらに虹の原理も、です。空気中の水蒸気に光が差し込んできたときの屈折と反射が虹を生み出しているという気象学上の業績ですが、これはデカルトの科学上の業績として現代でも有効です。
●解剖による松果腺への着眼
さらに彼は、医学にも強い関心を示し、解剖を実際にやっていたと言われています。
解剖が実践されるのは非常に歴史が浅く、17世紀に入ってからようやく解剖について少しずつ偏見が薄れてきました。その中で、デカルトは最先端の解剖に強い関心を示し、実際に牛などの動物の体を開いています。そこで彼が注目したのは、臓器として現代医学でも意味のある「松果腺」と呼ばれる脳の部位です。なぜ松果腺と呼ばれるかというと、松ぼっくりの形をしているからです。
松果腺は現代医学では「松果体」と呼ぶらしいのですが、左右大脳半球のあいだの第三脳室後方にあり、「メラトニン」と「セロトニン」と呼ばれるホルモンを分泌している器官のようです。
デカルトはどうして、この松果腺と呼ばれる脳の器官に注目したのでしょうか。彼の哲学は心身二元論を採りますから、精神と身体とは完全に交流がないという、二元論による人間観を採ります。それでも、私たちは一つの人間として、精神と肉体が合体しています。であれば、その相互作用は一体どこで起きるかというと、この松果腺という部位のみで起きると考えていたからです。
どうして彼がここに注目するかというと、人間の脳を開いてみると、非常に興味深いことが分かるわけです。人間というのは完全な左右対象ではないが、二つの部位があるではないか。腕は二本あるし、足は二本ある。鼻の穴も二つあるし、耳も二つある。こうした聴覚、嗅覚、視覚、触覚などを司る二つの肉体の部位〔からくる情報〕を一つに統合している場所があるはずだ。右手と左手、右の耳と左の耳、右目と左目という二つの器官で収集した感覚をいっぺんに収拾する場所が脳にあるはずだ。それはどこか。脳を開いてみると、大脳には右脳と左脳があって、微妙にずれてはいるけれども対称である。それは、一個しかない脳の器官を開いてみれば分かる。
ということで、〔心身結合はどこで生じているかと言うと〕それは松果腺だったのです。だから、ここでこそ、肉体の二つの部位から寄せられた二つの感覚が一つにまとまって、それが精神に提示される場だと、デカルトは考えたのです。
●血液循環説と蒸気機関モデルとしての心臓
さらに、当時打ち出され始めた血液循環説にも彼は関心を示していました。
血液循環説、つまり体内を血液が循環するという説明ですが、これには二つの説明の仕方があって、デカルトは最終的には現代医学では認められていない考え方を採りました。いずれにしても、問題は心臓ですが、心臓から動脈を通って静脈にいった血液がまた動脈を通るということで、心臓はポンプの役割をするのか、あるいは蒸気機関、つまり温められていて、そこに入った液体としての血液が、熱で膨張してあふれ出ることによって循環が始まるのか、二つの説明の仕方があります。
現代医学では、これはポンプとして、心臓が筋肉として収縮することによって、血液が押し出されると考えます。
デカルトは当時、ポンプとしての心臓の役割を打ち出していたイギリスの医師ウィリアム・ハーヴェーとは違って、蒸気機関のようなモデル、つまり熱をもっていって、その熱に温められた血液の膨張によって、循環が起きるという考え方を採りました。血液循環説に注目しつつも、しかしその説明の仕方としては現代の水準に達していなかった例です。
●天動説と地動説の混合と、宇宙の真空の否定
さらに天文学、宇宙については基本的には天動説を採るのだけれども、よくよく見てみると地動説になっているという不思議な宇宙観を提示しました。つまり、動いているのは天体のほうなのだけど、よく見てみると地球も動いているということです。ど...