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「徳」とは自己の最善を他者に尽くし切ること

人生に活かす東洋思想(1)人生の成功とは何か

情報・テキスト
古文や漢文が高校の必修科目でなくなり、漢文の素養を持たない世代が増えている。漢文を読めなければ、日本文化の源泉であるさまざまな思想にふれる機会は激減する。儒教・仏教・道教・禅・仏教、神道が目指すものやその意義に迫っていく。(全8話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
時間:11:16
収録日:2019/06/14
追加日:2019/08/31
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≪全文≫

●人間の土台が揺らいではいけない


―― 先生は「60歳からが、人生は本番だ」とおっしゃっています。この言葉はやはり年を取ると響いてくるようで、自分があと10年で60歳になるという方からも、これについてもう少し教えてほしいと言われています。

田口 生まれてから20歳までは、モラトリアムです。これは準備期間ですから準備をしなければいけない。私は講談師ではありませんが、最近は渋沢(栄一)や北里(柴三郎)などについて話してくれないかとのリクエストに応えて話す時があります。彼らに共通しているのは、元服(15歳ぐらい)までの過ごし方が本当にしっかりしていて、人間の土台作りが実践できていたことです。江戸期の人はさらにそうです。

 人間の土台とは何かというと、土台は揺らいではいけない。したがって、不動心や自己の確立ということを、昔は徹底的に教えてもらえました。現在では知識教育で、「これを覚えろ」の一辺倒です。スポーツをやっていたり、書道の先生についていたり、ご両親が立派な人であったりでなければ、そんな機会を今は持てない。運に懸かっているような、情けない状態になっています。

―― なるほど、現代人の土台は運に懸かっているわけですね。

田口 したがって、「運を強くしなければいけない」ということは、言っておかないといけません。


●運を強くするためには「徳」を積むしかない


田口 松下幸之助に「経営者の条件は何ですか」と聞くと、「運が強いことです」と答えられました。さらに「運を強くするにはどうすればいいのですか」と聞くと、「徳を積むことしかない」と言われました。ところが今や、「徳を積んでくれ」と言っても、「何をどうすればいいのですか」と問われる世の中です。

 徳とは何か。「自己の最善を他者に尽くしきる」ことだと、私は解釈しています。私の辞書で「徳」を引くと、そう出てきます。その内訳として本当に大切なことは何かというと、これまで何千万年、天が無償で人間のためにしてきたことを見ることです。天は、空気や太陽エネルギーを送り届けるなど、いろいろなことをやっている。しかも、時たま請求書が届いたり、天から使いが来て「これだけやってあげているのだから、いくらか払ってくれよ」と言ってきたりはしない。まったく我関せず、「見返りは要らない」と尽くし続けている。この天のありようを「道」と言います。

―― 先生、天のありようを「道」というのですね。

田口 道といいます。道のありかたをみて、「それはそうだな。じゃあ、自分の生きるシーンでそれをしよう」と思うことが大事です。私のようにあの世にいきかけたり、大病をしたり、喰らい込んだりするようでないと、一家をなさないと、昔は言われたものです。

―― 破産したりする人もですね。

田口 そうです。それらをきっかけに「自分は無償の行為に支えられている」と気づく。

―― 悲惨な目に遭うと、無償の行為に支えられていることに気付くわけですね。

田口 気付きます。そうなると、「利他」とかなんとか言わなくても、人のために自然に尽くしている自分が発見できるわけです。概念に基づいて、「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」と思ってやるのではなく、「天のありよう」を「自己のありよう」として生きていける。それが「徳」と呼ばれる。松下幸之助のいう「徳しかない」は、「天と一体化する方向へ歩きはじめた」ということで、いきなり一体化するのではありません。


●「天=道」のありように気づくと、死も怖くなくなる


―― その方向へ歩き始めたというところが大事なのですね。

田口 漢籍(かんせき=漢文で書かれた書物)を読んでいると聖人君子がたくさん出てきますが、「あなたは、聖人君子になりましたか」とは、どこにも一言も書いていない。どう書いてあるかというと、「聖人君子のほうへ、一歩踏み出しましたか」とあります。そこは、大いなる相違点です。天に感謝し、天のありようを自己のありようとしていくことが重要なのです。

 儒教で「天」と呼ぶものを老荘思想では「道」というわけで、まったく同じです。そうした絶対的存在は、本当に人のお世話係に生まれてきたのではないかと思えるほど、何千万年と人類の世話をし続けてきました。考えてみると涙なくしては語れない、感謝あるのみの存在が「天」であり「道」なのです。

 とりわけ老荘思想では、道がそういうものである以上、われわれも道の片割れとしてこの世に生まれてきたといいます。「やがて死ぬ」ということは「道へ帰る」ことなのです。

 私は、「道」を「ふるさとの肝っ玉かあさん」とも呼んでいます。私がこれまで何かを頼んで、「それは、できないよ」と言われたことがない。実際の母親の場合は、「じゃあ、点数を何点取ったら買ってあげるよ」とけち臭いことを言っ...
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