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道元の「一つひとつを丁寧に、真心込めて」が奇跡を生んだ

人生に活かす東洋思想(6)道元の思想

情報・テキスト
道元
禅は難しいと感じている人が多い。まして曹洞宗開祖道元の『正法眼蔵』などは、名著と言われても歯が立たない人がほとんどだろう。しかし、禅の目指している境地、そこに道元が何を持ち込んだかを知れば、禅も道元も身近になるはずだ。(全8話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
時間:11:23
収録日:2019/06/14
追加日:2019/09/06
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≪全文≫

●禅が目指すのも、「天の境地」に至ること


田口 禅については、とてつもなく難しいように書かれることが多いです。ところが、私の論法からいえば、禅もやはり「天」や「神」に近づくための方法だと理解できます。これらは神と一緒の境地に至ることを目指すものですが、何も「そうなれ」と言っているわけではない。目指すかどうかが重要なことです。

―― 先生、そういうふうに言っていただくと、とても分かりやすくなります。道元の全集などを眺めるだけでは、極めて分かりにくいです。

田口 そう。『正法眼蔵』なども、「何を書いてあるの?」という感じですが、簡単に言えばそういうことが書いてあります。

 道元は私の最近の尚友で、前々回の話でいうと「道元君が私の今の最大の友人だよ」と言うくらい、道元という人に惚れ込んでいます。道元が同じ日本人であることに、私は時々震えるほどです。

―― なるほど。そこまでの惚れ込みようですか。

田口 あんな立派な人と同じ日本人だというだけでありがたく、そう思うと勇気が湧いてくる。とても立派な人です。道元がなぜ立派なのか。高僧などが言っているのとは少し違った、私流の解釈をお話ししましょうか。


●「本来、悟っている」のに、なぜ修行が必要なのか


田口 叡山の横川(よが、よかわ)というと、今でも多くの人が修行に行く場所です。道元の頃は時代が荒れていたので、貴族の成れの果てのような人物がとかく僧侶になりがちでした。そういういやらしいような連中が多くいるのが僧の世界で、通俗的なものが嫌でこちらの世界に来た道元にとっては、実はこちらのほうがもっと通俗的でひどい部分もあり、嫌な思いをすることも多かったようです。

 そのようななか、彼が「仏教とは何なのですか」と問うと、「生まれながらにして、人間は仏だ」と返された。さらに「生まれながらにして悟っているものだ」ともいう。これらを「本法性(ほんほうじょう)」と言い、「本来本法性(ほんらいほんほうじょう)、天然自性身(てんねんじしょうしん)」と言うのですが、「基本的に人間は生まれながらにして悟った存在であるというところから、仏教は始まるのですよ」と言われたわけです。

 この話を聞いた道元は、「仏であり、悟っているのに、なぜ修行が必要か」と疑問を抱きます。それまでに何千人もの修行僧が聞かされた話のはずですが、それに対して、こういう根源的クエスチョンを抱いたのは、道元一人だけです。

―― なるほど。根源的クエスチョンですね。

田口 「仏で、悟っているのだったら、修行は何のためにあるのか」という疑問に彼は取りつかれた。こういう疑問を持つのは、目覚ましいことです。最近でいえばiPS細胞のような大発明をもたらした人などもみな、根源的クエスチョンを発した人です。「なぜ、これはこうなっているのだ」と根源を問うていきました。

―― 確かにそうですね。それには、かつ、勇気が要りますよね。

田口 そう、勇気が要ります。道元は、もう出家していたので、勇気がありました。日本中の高僧のところへ行き、「修行の意味はどこにあるのですか」と問うてまわった。判然とした答えがなかったところ、臨済宗・栄西(ようさい、えいさい)のところへ行ったときに、まずまず納得のいく答えをいただいた。それと同時に、「そんなふうに思うのだったら、中国に渡って修行してくるべきだ」と言われます。栄西自身も中国(南宋)に留学した経験があり、「中国の修行は違うから」と勧めたわけです。それで道元は中国へ渡り、天童如浄(てんどうにょじょう)という高僧を訪ねて、大悟すなわち悟りを得るわけです。


●日本人の「生き方革命」を成し遂げた道元


田口 悟ったときに彼が何と言ったかは、『弁道話』といういい書物に書かれています。漢文ではなく、かな文字で書かれた書物です。そこに「修行しなければあらわれず、修行がなくて悟ったことがなければ、悟ったという自覚もない」とあります。現れないのは、人間が持っている「仏」です。「修行があって初めて、それが外に現れる」と言いました。このことが、日本人の暮らし方や働き方のすべてを決めたものだといってもいいと私は思います。

―― なるほど。道元の悟りは、日本人の暮らし方や働き方をも決めるほどのものだったのですね。

田口 一言で言って「すべてが修行だ」と彼は言っています。ご飯を食べることも、こうしてしゃべることも、その辺を掃くことも、「全部修行だと思ってくれ」と言うのです。そこで、「修行だと心得て行うのと、そうではなく行うのでは、どこが違うのか」と疑問が起こるでしょう。実は私は、こう見えてしばらく永平寺に修行に行ったことがあるのです。

―― 先生、そうでしたか。

田口 そこには一緒...
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