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「課題オリエンテッド」でつくり上げていく人材が大事

いま求められる「教養」とは(3)教育と人材登用

情報・テキスト
教養のためには、専門性という「土台」をつくり、他分野の人とコミュニケーションをとり「土台を耕す」ことが肝心である。そのためには、好奇心と「聞く力」が必要になる。では、そのような人材に育てる教育はどうあるべきなのだろうか。(全4話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
時間:12:43
収録日:2019/07/10
追加日:2019/09/23
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≪全文≫

●同じ型で育つ現代、型が多数あった江戸


―― 先生のすごさって、日本の経済学者で、ブラジルのハイパーインフレをまさにその場所にいらして見ていましたし、シンガポールに行った時にもほぼ独学でやった、ということで、通常日本で東大教授を作るロールモデルとはまるで別のモデルでやっているところです。そういう意味では、いろんな視点から、日本を見ているし、日本の教育を見ているから、貴重ですよね。

 それを、東大の伊藤(元重)先生のすごさって、当時もぐりの学生だった柳川先生が、一番前でいろいろと質問しに来るということで、この人はものすごく面白い人なんじゃないか、と思って、東大生じゃないけど、自分のゼミ生に混ぜてしまう、というところです。それはある種、伊藤元重先生の私塾ですよね。

柳川 本当にそうですよね。その時はある意味で学生でもなんでもなかったわけですので、ゼミに入れていただいたっていうのは、まさに私塾であって、他の学生もいたわけですけど、僕と伊藤先生の関係でいけば、プライベートにいろいろ教えていただいたというわけですね。

―― 今、中学受験から始まって同じ歯型で、優秀な人をつくっていく、エリートをつくっていく、という仕組みだけれども、その歯型で育っている限りは、上下10パーセントくらいであんまり変わらないと思うんですよね。歯型が一つだから。だけど江戸時代って、それぞれ私塾があったし、藩校もあったし、歯型がいっぱいあるから、260年ほど続いた徳川の江戸がなくなったときに、違う歯型で育った人がいたんで、リーダーってつくりやすいですよね。

柳川 そうですね。おっしゃる通りで、やっぱりそこのところは、「結果として」ですけど、かなり多様性のある人材が生まれてきていたんだろうな、と思います。だから、繰り返しなんですけど、日本は、結局のところ、ずっと「キャッチアップ型の教育」で、ある程度特定化された「こういう人材を育てるんだ」、「この型にはまった人材を大量生産をする」ということのためにシステムが作り上げられてきていて、それは「その型だけが必要だった」「大量にそういう人材が輩出されればいい」時代には、すごくフィットしたわけなんですけど。

 こういう時代になってくると、もっと多様性が必要だし、場合によっては、僕みたいに全然違う突拍子もないところで、というような人材もどっかで必要とされる場合もある。そのようなところが、ある意味でいまの時代の面白さだし、そこに逆にいろんなチャンスがあったり、(通常のルートから)まったく外れてしまったような人にもいろんなチャンスや機会が本当はある時代だと思うんですよね。


●大事なのは「課題オリエンテッド」でつくり上げていく人材


―― 今の時代って幕末でいうと、黒船が来た時ですね。あの時の筆頭老中は、たまたま阿部正弘だった。それまでの門閥制度だと人材がなかなか出てこないので、勝海舟も、永井尚志も、小栗上野介も、旗本の子息だったけど、「優秀なやつは、とりあえず取り入れる」、ということで、幕府の中も変わったわけですよね。それに合わせて、とりあえず長崎で船の学校をつくっちゃうとか、蕃書調所なども福沢諭吉が入れるような仕組みに変えちゃうと。

 今の日本の変化の状況って、そういうところが出てきて、どちらかというと、通常だと取り上げられないような、異種の人が出てくると。でも異種の人は先生が言われるように、実はある種幅が広くて、好奇心が旺盛で、下々のことも分かるし、統治の仕組みも分かる。ということで、児玉源太郎、乃木希典、大山巌など含めてですね、彼らがやっていた時代、たぶん日露戦争からしばらくの間が結構日本のピークで、彼らの受けていた教育というのは、明治の教育ではなく江戸の教育ですよね。

柳川 そうですよね。

―― それで、昭和の暴走が始まるのですが、実は、陸軍大学とか、海軍大学とか、短期間で軍人を養成するための施設のカリキュラムを見ていると、私のイメージだと、相当安普請の教育だったんじゃないか、と思います。安普請の教育でつくった人を参謀長とか将軍といった上の方にもっていくと、同じパターンでボロ負け状態になってくる。当時の価値観としては、優秀だけど、上(にリーダー)は全くいないということで、「今、似ている状況なのかな」という感じがしています。


●「課題オリエンテッド」に向かう人材をつくるには


―― 柳川先生は過去、独学でやってこられて、しかも好奇心が旺盛で、自分で先生を選んだわけですよね。これって、結構、幕末の時のやり方に結構近いかな、と。福沢は長崎から始まって、オランダ語を学んで、適塾に行って、そこから横浜に行ってオランダはも...
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