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なぜ、「大衆民主主義」の「間違いを排除する社会」は滅びるのか

魂の芸術(8)民主主義は再考せられねばならない

情報・テキスト
大衆民主主義が絶対に滅びることは、すでにキルケゴールや、オルテガが喝破していることである。しかも、日本や独仏など多くの国が、「間違いを排除する」社会になってしまっている。だから、子どもがケンカすらできないような状況が生まれている。そもそも、政治で言えば、議会が生まれたのは、絶対君主制に対抗するためだった。その絶対君主がいなくなったら、議会はファシズムにならざるをえない。今の時代のように「正しいことしかできない」のであれば、「死んだこと」しかできないのだ。政治は日々生きているのに、「正しいこと」しかできないのであれば、何も言えない、できない。つまり国家の滅亡にまで至る危機的時代に我々は生きている。(全10話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
時間:14:45
収録日:2019/09/11
追加日:2019/12/27
カテゴリー:
≪全文≫

●大衆民主主義は滅亡しかない


―― 民主主義についてお聞きしたいのですが、ギリシャの民主政にしても本当に機能していたのはペリクレスという天才がいた前後の50年くらいです。あの時代に生きたプラトンにしてもアリストテレスにしても、民主主義に対して、あまり高い評価を与えていません。やがては貴族政やローマの元老院政にもつながっていくわけで、今、民主主義はものすごく危機に瀕している気がします。このままの形で維持できるのか。

執行 哲学者、例えばオルテガ・イ・ガセットや、19世紀だとセーレン・キルケゴールなど、頭の良かった人たちは皆、「大衆民主主義は滅亡しかない」と言っています。だから大衆民主主義というのは、もともとダメなのです、形を変えないと。選挙制度もダメ。ギリシャの民主主義は、もともと市民だけです。市民とは選ばれた人で、その選ばれた人がやっていた民主主義でもダメなのです。

 僕の理論をおかしいと思う人は、世界的な哲学者であるホセ・オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』と、キルケゴールの『現代の批判』を読めばわかります。いずれも民主主義の社会を批判していて、大衆民主主義は絶対に、もうダメなのです。

―― オルテガとキルケゴールですね。

執行 大衆とは、良くも悪くも「自分の欲望」しかありません。政治や思想を左右する地位にいないのです。その人たちに政治の主導を任せようというのは、ダメに決まっています。自分に都合がいいもの以外はダメですから。

 それが悪いというのではありません。大衆とはそういうものなのです。その大衆が政治をするという考えが、おかしいのです。だから昔は優れた人が、その人たちが困らないように政治をした。もともと為政者はエリートがなるもので、民百姓のために命を投げうってやるのが、もともと政治家なんです。その民百姓が政治家を選ぶのは、主客転倒です。

―― そういう意味で、オルテガは非常にわかりやすいですね。やはり今のやり方だと、大衆の反逆になってしまうのですね。

執行 もとから決まっています。

―― 日本で言うと、僕は原敬がすごいと思うのです。「平民宰相」と言われながら、普選法に対しては「まだ早過ぎる」と。

執行 あの時代までの平民は、今でいう平民ではありません。原敬はエリートです。

―― 家老の家系で。

執行 原敬はエリートの中のエリートで、ただ貴族じゃないだけです。ギリシャの市民も、日本で言えば昔の貴族です。

―― 確かに、奴隷制があった時代ですからね。

執行 そのあたりをちゃんと見ないと。だから僕は大衆について、差別的な意味で言っているのではないのです。大衆が幸福に暮らすには「正しい政治」をしなければダメで、それをやるのがエリートの仕事なのです。

―― そう区分けすると、ものすごくわかりやすいですね。

執行 このあたりを、もう一回考え直さなければならない時期だと思います。大衆民主主義で、政治家もみんなにいい顔ばかりしている。放射能を中心に、地球も滅びる寸前です。今が考えどきで、僕が一番重要だと思うのは、最初から話している「間違いを許容できる社会」をもう一度つくることです。

―― それは非常に大事です。

執行 もう一回言うと、「間違いだけが『生きていること』」なのです。僕の人生でわかります。僕もいろいろやってきましたが、正しいことは死んだことです。受験勉強と同じです。確定しないことは、正しくないのですから。だから学問でも本当の学問は、どんどん変化している生きている学問です。そして枝葉の部分、ボトムの部分が徐々に死んでいく。壊死して、死んだ部分だけが固まって、入試問題に出せる問題になるのです。この違いがわかっていないように思います。

 今の政治家も正しいことをやろうと思っているから、日本の政治家もフランスやドイツの政治家も、まったく動けない。哲学者のフッサールが言う「エポケー」つまり思考停止の状態に、西欧社会とアメリカと日本は完全に落ちています。もう、死んだことしか語れないのですから。政治は日々生きています。何か言えば責任を問われるだけですから、何も言えない。

―― 何にもできない。

執行 日本の政治家が正しいと思ったことも、言ったときには現象として終わっています。だから学問では死んだと同じで、試験問題に出せるということです。でも、その状態でなければ「正しい」と言い切れない。

―― そう言われると、わかりやすいです。


●対抗勢力のない議会の無意味さ


執行 中国と北朝鮮は、今はまだそれがないです。ないから勝ちますよ。また、先程話していた(日本では既に読まれなくなった)文学の場合、ロシアでは読まれていますが、ロシアで文学が読まれるのは自国の芸術、自国の文学優先だからです。学校でロシアがいかに優れた...
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