●画家 戸嶋靖昌との出会い
―― これ、素晴らしい絵ですね。
執行 ここにあるのは、ご存知だと思いますが戸嶋靖昌です。戸嶋は、僕が日本で一番優れた芸術家だと思っている人です。彼とは特別な縁があって、戸嶋が死ぬ3年前に知り合い、会社の中にアトリエを造って、好きなときに会社に来てもらっていました。僕の肖像画を描いてもらうのも理由の一つで、結果として6枚描けましたが、出会ってしばらくして、がんが発覚し、3年後に亡くなりました。だから最晩年の作品になります。
72歳で亡くなりましたが、その3年前に偶然出会い、僕がぞっこんほれ込んで肖像画を頼んだのです。本当なら今でも長く描いていたはずですが、3年後に亡くなったので戸嶋の芸術を後世に残すために記念館を創りました。ここは基本的には、戸嶋靖昌記念館なんです
戸嶋靖昌の全作品を譲り受け、このように展示しました。戸嶋靖昌の名前を後世に残すことが、僕が主宰している「憂国の芸術」と名付けたコレクションの主体です。
―― すごいですね。一番晩年の最期の3年間を一緒に過ごされたのですね。
執行 楽しかったですよ。僕の肖像画を描いてもらい、描き終わったらいつも宴です。飲んだり食べたりしながら、いろいろ芸術論を戦わせました。
――それもすごいですね。しかも最後の成熟しきった3年、人間として一番成熟度が高いときですよね。
執行 だから戸嶋は特別な存在ですが、僕は戸嶋からは素晴らしい「運」をもらったとも思っています。戸嶋に会って、描いてもらい、戸嶋の記念館を創った。戦後の日本人が、高度成長から贅沢を覚え、バブルに向かっていくときに、戸嶋は一生食えなかったけれど、食えなくても自分の芸術というものに向かって、全てを捨てて描き続けた人です。そして1枚も売れないで死んでいったわけです。
―― 1枚も売れなかった。
執行 きちんと売れたものは、ありません。
―― それもすごいですね。
執行 そういう人なのです。売る気もなかったようです。
―― 全く無名の人ですよね、生きている間は。
執行 全く無名です。だから僕と出会っていなかった場合、絵も含めて全部、死ぬと同時に消滅して、終わってしまった人です。僕は絵を引き受けたとき、過去の作品も全部、かびの修復から何から施し、額装して展示できるようにして記念館を始めたのです。
――その意味では晩年の3年間に偶然に出会ったことが、この芸術家にとっても、ものすごい出会いだった。
執行 すごいでしょうね。これは僕にとっても劇的です。
●戸嶋絵画にある「時間化」作用
――この絵を見たときに、ものすごい感化を受けたのですね。
執行 すごいなんてものじゃありません。僕は、この絵を最初に気に入って買いました。これがどういう絵かというと、見ただけではわからないと思いますが、スペインのグラナダという場所を描いた絵です。僕はスペインの歴史も好きで、スペインにはレコンキスタ(再征服)と呼ばれるムーア人(北西アフリカのイスラム教徒。8世紀初から15世紀末までイベリア半島に勢力を築いていた)と戦った800年の歴史があります。
――グラナダですか。
執行 「街・三つの塔-グラナダ遠望-」という絵です。グラナダはレコンキスタが終わった土地です。僕はこの絵を見たときに、そのグラナダで800年間ムーア人と戦って流した涙というか、そういうものが全部この絵に沈もれているのを感じました。
戸嶋はそれを感じずに描いたのですが、戸嶋がそうした空気中や地中にある人類の涙を絵に描ける人間であることが、僕はこの1枚を見てわかりました。
800年間のグラナダに沈み込んでいる涙が全部見えることによって、僕はこの絵が死ぬほど好きになったのです。この絵によって、戸嶋に一撃でほれ込みました。ちょうどその頃、僕は会社関係の雑誌を出していて、僕は社長として毎月、自分の写真を載せていました。ただ、そのために毎回撮るのが面倒で、肖像画で代用できないか考えていたのです。
―― 肖像画ですか。
執行 肖像画を使おうというのは、横着からです。肖像画なら毎回同じものを出してもおかしくありません。1枚描いておけば、10年ぐらい持ちます。そういう見込みで、誰かいい画家に肖像画を頼みたいと思っていたところ、ちょうどこの絵と出会い、「この画家だ」と思って戸嶋に頼んだのです。戸嶋は、もともと人に頼まれて絵を描いたことがない人で、自分の描きたい絵しか描きません。だから僕が頼んだときも、頼まれて描いたことがないので、本人いわく「断ろう」と思っていたのですが、電話で断るのは失礼だと思ったようです。
―― 直接会ったのですね。
執行 そう、今も忘れません、銀座の凮月堂で会いました。そうしたら一撃で意気投合して、僕の肖像画を描くという話になったのです。
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