●山口長男―宇宙の力を凝縮する
執行 ここにあるのは山口長男(ちょうなん)の絵です。彼は武蔵野美術大学の教授で、戸嶋靖昌が若いころ、芸術論を学んだときに一番影響を受けた画家です。本名は「たけお」で、戸嶋と平野は無名でしたが、山口長男はすごく有名です。これは「聚(しゅう)」(集まるの意)という題名で、僕は「縄文の魂」を感じます。日本の縄文時代の魂の原点を感じます。
―― 原日本人ですね、縄文ですから。やはり直感力というか、超越した知性が要るのですね。
執行 そう思います。そしてこの山口長男が、戸嶋に一番影響を与えています。見比べると全然違いますが、実は山口長男の持っている宇宙的な力から、戸嶋は自分の画風を引き出しているのです。
――山口から戸嶋に行くという流れが、よくわからないですね。
執行 一般にはわかりませんが、山口長男は、言葉は少し難しいのですが、宇宙の力を絵画に凝縮している人です。だから宇宙から地上に降り注ぐ力を、いろいろな形で表しています。この「生」という作品もそうです。だから山口長男から学んだ人は、宇宙のエネルギーを絵画に落とし込むことができる。その原点が山口の絵なのです。
平野遼も、山口長男が先生ではないですが、山口長男をすごく尊敬していたことが後でわかりました。平野遼の絵画も、山口長男の絵が元にあるのです。そして山口長男の絵の中でも特に遠心力を自分の絵の中に取り入れたのが戸嶋で、求心力を取り入れたのが平野遼なのです。
―― やはり影響しあうわけですね。
執行 全部そうです。共振なのです。
―― 先生には、それが非常に見えるのですね。
執行 全部わかります。これとこれがつながり、あれが出てきたなとか。これも正解が何かをわかっていたら、もう出てきません。
―― 誰かの解釈を信じるだけで、自分で感じ入ったものではないから。
執行 これはもう「間違っていい」と思わなければ、できません。ただ面白いもので、たとえ独断と偏見で出した解答でも、いずれそれが本当にそうだったと、後から資料でわかることが結構多いのです。
―― 後からわかってくるのですね。最初は直感でも、その後は何度も見ながら考え続けるわけですからね。
執行 もちろん、そうです。
―― ここが違うところですね。
執行 ハイデッガーもそうですし、学問も取り入れて、いろいろ見ているわけです。
―― 最初から「こうです」と書いたものを読んで覚えるなら、何も感じていないのと同じですから。
執行 そして考えなくなるのです。
●間違っても、自分がやる
執行 この「屈折」も、山口長男の代表的な絵です。山口長男の絵は、みんな実像と虚像が合わさっています。「実」と「虚」を描こうとして苦労しているのが山口長男です。これが先ほど言った「遠心」と「求心」にもなるのです。だから山口長男の絵が与えている影響は戸嶋靖昌にも平野遼にも、すごいものがあります。山口長男自体いろいろ学んでいて、山口長男も一つの天才です。
―― その正統派天才から感化を受けて育つわけですからね。
執行 だから山口長男と戸嶋靖昌の絵が同じに見えるぐらい、絵画の魂を見られるようにしなければダメだということです。
―― それは自己トレーニングしかないですよね。
執行 自己の魂の成長ですから。自己の魂を信ずるしかありません。だから僕がどのように影響を受けたかについても、僕が勝手に言っているだけです。これが大学入試に出たとして、僕の言ったとおり書いたら合格するものでもありません。有名になれば合格する解答になりますが、そうなればもう全部間違いです。
―― 大事なのは、自分で仮説を立てるということですね。
執行 当然そうです。仮説は、先ほど話したように、間違っているほうが価値があります。僕自身、合っている仮説もあれば、間違っている仮説もありますが、間違っている仮説のほうが人生上は役に立ちました。合っている仮説は、「ああ、合ってたな」というだけです。これは不思議ですね。
――自分の立てた仮説が「間違っている」と言われたら、どうしてなのかめちゃくちゃ考えますし、「本当にそうか?」と思い始めます。「なぜ」の問い掛けでしか、人間の成長はありません。
執行 恐らくそうですね。それでやはり、間違える人でないとダメなのです。今の日本人がダメなところは、みんないい人で正しくなったことです。だから力がなくなってしまった。
―― 人生に正解があると思っている人たちばかりなら、それは力が弱まります。
執行 昔の日本人と今の日本人を比べて一番違うのは、昔は自分のことを「正しい」と思っている人がほとんどいませんでした。みんな「自分はこうやりたいからやっているだけ」という人でした。
―― その活力で引っ張っていったわけ...