●敗者復活戦が何度もあった時代
執行 いまの家庭は、どこの家庭を見ていても、もはや親子の愛もありません。自分の幸せを望んで、うまくやっているだけです。家庭を保持するために、子どもにも女房にも正しいことを言わず、「まあ、いいだろう」「いいんじゃないか」と。女房のほうも一緒で、「亭主は金を持ってくりゃいいや」みたいな。今は、そういう社会です。どこを見ていてもそう思います。それは全部、戦後社会が「間違ったことを許容しない社会」になったから起こっていると思っているのです。
「正しいことしかしちゃいけない」「正しく生きろ」「正しいことをしろ」と言うと、もう人間、動きが取れないです。誰だって、そうなります。僕だって「正しいことしかしちゃいけない」と言われたら、今しゃべっていることは全部しゃべれません。独立もできないし、会社もできない。何にもできないですよ、人間の意志に関しては。
では昔の人間がどうして生きられたかと言うと、例えば戦前の日本社会を見ると、「間違ったことをしてもいい社会」だからです。昔はみんなそうです。
―― 陸奥宗光なんて紀州藩を脱藩して、勝海舟の弟子になって、坂本龍馬とともにいろんなことをやりました。それで紀州藩は、一番最初に洋式装備に変えることにもなるのです。だけど薩長閥に入ってから、その中で反乱を企てて1回ムショ送りになる。それでも井上馨や伊藤が彼の才能を見抜き、金を出してヨーロッパに送り出し、戻した。日清戦争を勝ったのは、伊藤と陸奥の名コンビのときです。すごく社会に余裕があるし、フレキシブルです。そのフレキシブルという形が、すごいです。
執行 今出てきたのは、みんな今の政治家が好きな人たちですが、彼ら明治の政治家や明治維新の志士たちの人生を見てごらんなさい。今ならみんな処刑です、牢屋です。でも、そういう生活を送れた人だから、あんな政治ができたわけです。
―― 敗者復活戦が何回もある感じです。能力があって、ある種、上も度量があった。人も足らなかったから、いろんな空間に隙間がいっぱいあったのではないでしょうか。
執行 そうです。それから悪いことだって、いい。正確には悪いことではなく、自分が本当に思ったことをしていい社会なんです。家庭でも、子どもは殴られるで済むんです。だから殴っていい社会じゃないとダメです。間違ったことをしたら殴られるのは当たり前で、殴られなきゃダメなんです。僕は殴られ通したから、間違ったことが生きたんだと思います。
―― 殴られ通したから。
執行 まだ社会がそうだったから。小学校で間違ったことをしたのに褒められていたら、僕は、どうしようもないバカ息子になったと思います。
―― そういう意味では昔の昭和30年代、40年代、せめて50年代前半くらいまでは、緩かったですよね。その緩かった時代のほうが、いい人、面白い人が育っているわけです。
執行 いいかどうかは別です。「面白いやつ」です、要は。
―― やはり面白味が全てですよね。
執行 人生なんて、そうです。
―― 面白いやつとしか、付き合いません。
執行 だから僕だって自分の言うことが全部通っていたら、うちは金持ちでしたから、「金持ちのバカ息子」で終わりです。でも通らなかったですから、何も。殴られ通しで、親からも勘当され、もう最悪です。
―― それが先生の原動力になっているわけですね。ぽいっと勘当されてしまったから、自分でやらざるを得なくなった。
執行 大学を出てからも大変な思いです。それが良かったわけで、こんなことは当たり前です。今はもう恵まれ過ぎていて、悪いこともできない、間違うこともできない。これじゃあ動けないです。誰を見ていてもそうです。まだ、勝手であると思えたのは、昭和30年代から40年までです。
―― 勝手に生きていると思っていたのは。
執行 まだ「俺たちはわがままをやっている」と。
―― 「わがままをやってるぞ」と自覚しながら、やっているわけですね。やはり行き着くとこまで行かないと。滅んでから後じゃないと変わらない。
執行 立ち直りません。今「立ち直れ」と言ったって、立ち直るのが全部悪いことになってしまいますから。
―― 言ったやつに「こいつは悪党だ」と。「みんなで石投げて殺そう」となりますね。
執行 なります。
●「正しいものを描こう」としたら、いい絵は描けない
―― でも、こうやって山口の縄文の絵が戸嶋に影響を与えた。あの肖像画が先生と混ざっているということにしても、やはりすごいです。遠心力と求心力を表した絵も、何とも言えず、すごいです。
執行 少し政治の話になってしまいましたが、絵だって「間違っていて、良い」ということでなかったら描けませんよ。平野遼の絵なんて、間違っているに決まってます。正しい絵を描こう...