●命を捧げ尽くした「絶筆」
執行 僕は後世に伝えたいのは、戸嶋は絶筆を描くときに、「もう何カ月で死ぬ」と医者に宣言されました。「治療に専念しなさい」といわれたのですが、治療に専念せず、そのまま2カ月か3カ月の命を「僕は死ぬまで芸術にぶつける」ということで、「じゃあ執行、お前の肖像画を描かせてくれ」と言ったのです。
僕は止めましたが、「もう一回描く」と。これは世界でも珍しい絶筆で、いつ死ぬのかわかってから、初めて描きだした絶筆なのです。
―― すごいですね。時間制限のある中で描き始めたのですね。
執行 普通、絶筆というと描いてる途中で死んでしまったものを指します。この絶筆は違います。あと2~3カ月後に死ぬとわかってる人間が、最期のエネルギーを全部「俺は自分の芸術に叩きつける」ということで描いたものです。「50号の絵を描かせろ」ということでこの絵を描きだし、僕が毎日モデルをして最後に完成した日、夜の11時に「完成した」と言ってその場でひっくり返って倒れたのです。
―― 燃え尽きたわけですね。
執行 そのまま入院して、あとは死ぬまで昏睡状態でした。そういう非常に珍しい絶筆なのです。
―― すごいですね。
執行:これが、戸嶋の最後の絵。50号の絵を描くには、結構体力も使いますから。
―― それをやられたわけですよね。
執行 この絵に最後の筆を入れて倒れたのです。僕は戸嶋が「もう死ぬ」とわかっている命を全部、芸術に捧げ尽くして死んだことも、後世に伝えたいのです。
この絵は戸嶋流に言うと、西洋の正統の油絵と日本の白鳳文化の揺らぎが合体した絵で、それがやっと描けたのです。戸嶋は自分が理想としている絵画を最期に描けたという言葉を残して死にました。だから芸術家としては無名のまま死んだけれども、僕は戸嶋は、すごく幸せな人生を送ったと思います。憧れていた絵が最期に描けて、自分の新しい道が見つかったと言って死んでいったのですから。こういう人生が送れたのも、戸嶋が芸術に、もともと命を懸けていたからです。
―― まったく無名のまま、最期に完全燃焼して死ねるという。ゴッホもそうですが、結構多いですよね、無名のまま死んでいった画家は。そして死後、誰かが見つけてくれる。
執行 そうです、誰かがやらなければなりません。
―― その魂を見つけてくれる。
執行 戸嶋ぐらいすさまじい生き方をした日本人の画家は、戦後あまりいませんから、戸嶋を残すというのは大変なことなのです。
●「めちゃくちゃ」を信じる決意
執行 これは平野遼という、やはり無名で亡くなった人の絵です。彼も死ぬまで全生涯、絵だけ、絵以外は何にもしないという人間でした。「岡城跡」という題名で、岡城の城跡を描いています。僕が気に入って買ったのですが、奥さんから聞いた話では、平野は北九州の人なのですが、天から突然霊感が降りてきて、「岡城に行かなければならない」と言って石垣を描いたそうです。
僕はこの絵を見たときに、本当に武士道の魂を感じました。そのときは題名までわかりませんでしたが、あとから「岡城」だとわかりました。だから僕は岡城の武士の魂の紅蓮の炎が、燃えたあとを感じたわけです。
そして絵を買って何年もしてから奥さんと出会い、武士の魂を描くために岡城に行ったという話を聞きました。この赤い部分など、僕には血潮に見えます。ところが実際に聞くと、もみじの紅葉でした。岡城は九州の竹田市にある城で、『荒城の月』のモデルになっています。滝廉太郎も住んでいました。
平野遼も無名のまま全生涯を絵に捧げて死んだ人で、この人の絵も、本当に好きになって見ていると、「自分が信ずるものに命を投げ出している」ことが伝わってきます。それを僕は日本人の魂として残したくて展示しているのです。この絵を死ぬほど好きになると、そうなってきます。
―― それくらい絵の中に入れるのですね。
執行 それだけの芸術力があればね。そして、平野遼や戸嶋靖昌にはそれだけの芸術力を、作品に付与する才能があるということです。本人もそのように生きていて、それが全部、芸術に感化している。
―― やはり、そうなってくると重要なのは目利きですよね。
執行 目というより魂です。心でぶつからないと。目なんて、どうでもいい。
―― 魂でぶつかるから、初めて理解できる。
執行 言葉はおかしいですが、「霊感」ともいえるでしょうか。この絵も武士道を感じて買いましたが、当時は「岡城跡」という題名も知りませんでした。岡城跡で武士の魂を描いたものとは知らないのに、武士道を感じたのです。やはり魂が感応しているのです。
―― ある種、「超越した知性」ですね。
執行 この絵に感じる武士道は、学問をやっていたら感じられません。魂レベルで言うなら、「めち...