●日本は自粛要請を行っている間に次に打つべき手を定める必要がある
曽根 今回の新型コロナウイルス問題で、国民が先に進んでいるのか、政府が先に進んでいるのか、分からない部分もあります。どちらにせよ、政府としては戦略的な方向性を定めたら、明確なメッセージを伝えることが政治だということです。明確に伝えるのは、なかなか難しいことです。
今回、日本で出てきた「3密」という言葉も、その意味や範囲を具体的に考えなければなりません。「これは3密なのかどうか」と、いちいち国民が数えて確認しなければいけないのです。例えば、「ジョギングは3密にならないので、しても良い」と考える人もいますが、最近では「ジョギングでもマスクをせよ」と言う人もいます。ということで、厚労省や規制当局も試行錯誤なのでしょう。
日本においては、強権的な手法を使わずに、自粛のような比較的緩い手段に国民が応じてくれている間に、打つべき手を定める必要があります。それをうまく出口と結びつけることも重要でしょう。出口と結びつける際には、感染者数と死亡者数をしっかり把握するべきです。
PCR検査を増やすことで、感染者数が増える可能性もあります。現状では、明らかになっている数字の10倍、あるいはそれ以上の人が感染していたり、また、ある程度の人が抗体を持っていることも十分あり得ます。この点についてはニューヨークも東京も変わりません。つまり、もっと感染者がいることを前提に議論していった方が良いのです。ただし、そうなると、分母が多いからといって感染率、致死率が低いと判断し、緊急事態宣言を解除してしまうのは早急です。そうではなく、どのような活動をすれば終息に向かわせることができるのかを見定めることが求められるでしょう。
例えば、外出時はマスクを必ず着用する、出勤時には満員電車は避けるなど、いろいろな手段を今後も発信するべきでしょう。今まで通りでOKというわけにはいきません。そうした意味で、「ニューノーマル」(コロナ後の新常態)とは、どのようなものなのかを考えなければなりません。時々出社して、その他はテレワーク、つまり遠隔で仕事をするというように、社会は変わるのでしょうか。そうであれば、出口としてある程度納得する形で事態を軟着陸させることができるのではないでしょうか。
そうではなく、これまで通り毎日満員電車で通勤したり、居酒屋で飲食したりしてウイルスを撒き散らすことになるのでしょうか。もちろん、そうした中で多くの人が自然に免疫を獲得できて、集団免疫という形となり「これまで通りでも問題ない」という状況になるかもしれません。ともかく、これまでの自然免疫はどの程度なのか、獲得免疫はどうか、そして今後、集団免疫がどの程度獲得できれば安心なのか、といった判断をする必要があるでしょう。こういったことに関して、感染症の専門家はおそらくこれまでも麻疹(はしか)などいろいろなケースで計算しているでしょうが、今回はまだ経験していないことが多いのです。しかもこれらは経済活動に大規模な影響を与えるので、その責任を公衆衛生の専門家に負わせるのは気の毒です。政治家が責任を負ってやっていくべきです。
●ポストコロナの時代、社会の再構築に向けた国際競争が起こる
―― ありがとうございます。最後に、ポストコロナに向けてお伺いしたいですが、日本に新たに危機管理システムを導入するとしたら、どのような点に気をつけるべきでしょうか。
曽根 先ほど、主に中央政府の内閣や内閣府の話をしました。しかし、危機は大学や企業、家庭にも存在します。日本人が経験した第二次世界大戦の敗戦後、どのような形で復興すべきか、あるいは新しい国にすべきかを考えたように、ポストコロナの時代においては、大学や企業、家庭を含め、社会をつくり変えるくらいの気持ちで取り組んでいくべきでしょう。たしかに今まで、東日本大震災や原発事故の時などに自分たちの社会について考える機会はありました。しかし、日本全体、あるいは世界全体のレベルでそうしたことについて考えるという機会、あるいはそうした事例がほとんどありませんでした。
そういう意味でいうと、新型コロナウイルスは世界中に拡散したので、世界中の政治システムの対応力が試されたということです。同時にポストコロナの時代においても、社会やシステムをつくりかえる、再構築することに関して、どこが優れていて、どこが優れていないのかというのは競争になります。
この競争のスタートラインは、どこの国も一緒です。日本はその競争に勝つ可能性があります。「新型コロナの全体像」の講義の中で楽観論について少しお話ししましたが、「何もしなくても、われわれのチームが勝つだろう」ということではなく、次に勝つためのチームをどう編成するかを...