●「休業補償」はせず、和歌山県独自に支援することにした
―― また、和歌山県で非常に特徴的だったのが、補償金のあり方です。特に休業補償については、和歌山県は「休業補償はしない」と表明されました。その思いとは、どのようなものでしょう。
仁坂 休業補償を一番初めに言われたのは、東京都だったと思います。東京都は影響力が大きく、マスコミの方もわりあい賛同されました。そこから「休業補償を出す太っ腹な知事」「休業補償を出さず、やたらと命令だけするケチな知事」といったイメージになり、ほんの数県を除いて多くの都道府県で休業補償が当たり前という風潮になってしまいました。私は当初から「これはおかしい」と発言もしたし、最後まで休業補償の考え方には同意しませんでした。
これには理屈があります。まずは好き好んで営業を止めてもらっているのではない、ということです。国民ないしは県民が感染すると大変ということで、感染リスクの高いところに休業を要請している。これは営業の自由を束縛するものではなく、公益目的から、やむを得ざる措置としてやっていると考えることが正しいと思うのです。
例えると自然災害と似ていて、災害が起きたとき「避難してください」と命令をしますが、そこで「今、営業中だから、休業補償を出してくれる?」とは誰も言わないと思います。政府も実は私の意見に賛成のようで、諸外国を見ても休業命令に対し補償するという話は聞いたことがありません。
また、周りを見ると、休業要請をしなかった業種で、お客さんがほとんど来ないので自主的に休業をしている業種は、たくさんあります。先ほどの休業補償理論からすると、そういう業種には一銭も出しません。これも、おかしいと思うのです。
もっといえば休業はしていないけれど、お客さんが2割しか来ていない。もう経営はガタガタという企業や業種もいっぱいあります。それに対しても、休業要請をしていないから関係ないとなる。これはおかしいのではないか、と思うのです。
したがって和歌山県は、休業要請をした業種のみ補償することはしない。ただし県民の皆さんを等しく救済するのは、われわれの義務ですから、支援をできるだけ広範囲に行う。そのように宣言して、実行しました。
国からも、例えば営業が50パーセントを下回る業種や店舗に対して給付金を出すことになりました。その給付金に加えて、和歌山県独自に支援することをしました。そのときの考え方は、先ほど言った理論のとおり、全ての人を対象にするということです。それから困っている人を、困っている度合いに応じて対象にします。大事なのは事業の継続で、このコロナを乗り切るまで事業が継続できるように考えないといけません。その理屈に合う形で政策のパッケージをつくり、政府からいただいたお金も含め、施策を1次、2次にわたって、やってきました。
●気をつけるべきはキャッチーな言葉による副作用
―― この考え方は非常に重要で、経済の進め方の根幹に関わる話です。補償金に限らず、政治が何かメッセージを強く打ち出し、国民の注目を集めていくという意味では「キャッチフレーズ型政治」というものがありました。
こうした危機のときは、それも必要な要素だと思いますが、反面、キャッチフレーズ型政治が悪い方向に行くと、国民が分断化されるなど、難しい局面に陥りかねません。そのことを今、まさに日本国民は経験していると思うのですが、この問題について知事はどのようにお考えでしょう。
仁坂 私は自分があまり、そうしたキャッチフレーズをうまく使えるタイプではありませんが、キャッチフレーズをうまく使って、対象である国民や県民を“ノセる”のは悪いことではないと思います。ただ、言葉が格好良いがために、その言葉の意味が強くなりすぎる危険もあります。そこは気をつけないといけない。
このコロナの関係でいうと、最近流行りの言葉が3つあり、いずれも少し危ないと思うところがあります。
一つ目は「クラスター」です。クラスターという言葉は、立派な言葉だと思いますし、概念としては集団で感染した場合、その集団を指す言葉ですから、別におかしくはありません。とはいえ、「クラスター(対策)が大事です」「クラスターから新たなクラスターをつくらないようにしなければいけません」などとあまり言いすぎると、「じゃあ1人の感染のときは、手を抜いていいのか」となる可能性があります。
例えば、厚労省にはクラスター対策班があり、クラスターが起こると、いろいろアドバイスをしたり、応援してくれたりします。しかし、1人のときも注意して、保健医療行政が必死になってあとを追い、感染を封じ込める。囲い込みをしていかないと、いずれはクラスターになります。そういうところも心して、われわれ当局が手を抜...