●「国民の協力」より副作用が少ない「保健医療行政」
仁坂 感染症法の権限を十分行使するときの副作用は、われわれ行政、あるいは保健所の人たちの疲弊です。つまりやはり疲れる、しんどい。一生懸命やらなきゃいけないから(当然ですが)。これが副作用の唯一のものだと思います。一方、国民の協力をお願いした瞬間、国民生活や経済がかなりの打撃を受けます。総合的に考えると、やはり副作用の少ないほうにもっと注力して、そこで最大限頑張ることを、もう一度再確認するというのが私の意見です。
ただしそれも限度があり、もうどうしようもないところまで行けば、また国民に協力をお願いする。ただしフランスなどが行った戒厳令のような、表に出たら罰金を取られるという徹底したものではない。それでも日本より効かなかったようですが、あのようなやり方だけが国民の協力、自粛ではありません。また前回のときのように自粛を広くかけることだけが自粛ではありません。
最後、もうどうしようもなくなったら、それしかないかもしれませんが、それまでに副作用のことも考えて、どのぐらいまで協力をお願いするかを考えていかなければなりません。
和歌山県はある時期、「われわれは皆さんへの協力依頼を、もうしません」と宣言していました。5月下旬頃で、一度県民の皆さんへの協力依頼を全廃しました。このとき、まずは「不要不急の外出をやめてください」というものをやめて、「安全な外出、安全な生活、それから安全な営業でいきましょう」というメッセージに変えました。すなわち全面的に何でもダメではなく、「安全に気をつけながら、やっていきましょう」と考えたのです。
特に安全な営業については、それぞれガイドラインをつくってもらい、営業はするけれど、ガイドラインを守り、注意をしながら営業してもらっていた時期がありました。
ですから、自粛依頼もいろいろなやり方があるのです。全部シャットアウトと決めなくていい。保健医療行政がきちんと機能している限り決めなくてもいいというのが、前回の教訓だったのではないかと思います。その前提で緊急事態宣言をしてもいいと、私は思っています。
●「大阪モデル」をつくって公表した吉村知事の勇気
―― 「その前提で緊急事態宣言をしてもいい」というお話を詳しくお願いできますか。
仁坂 前回のように、80パーセント、70パーセントと行動や人との接触を断つという話にいっきに行く必要はなく、また移動の自由も「やめてください」ということでもなく、ある程度の社会生活はしてもいいけれども、「此れ此れ斯く斯くの部分は、きちんと守ってください」と要請するやり方があるのではないかと思っているということです。
―― なるほど。一度、非常に厳しい行動自粛をしただけに、受け取る国民の側も難しいところです。例えば、東京都民は「とにかく他の県に行くな」ということで、Go Toキャンペーンも除外されました。そういう状況下で、果たして何をすべきか。先ほどの問いと同じになりますが、よく分からないというのが正直なところだと思います。
それと比較して、今の仁坂知事の安全ガイドラインもそうですが、合わせて注目されたのが、お隣りの県である大阪府です。「大阪モデル」として自粛解除の基準を示し、かなり綿密な数値を公表しながら解除に向けていったという経緯が、あの時期かなり注目されました。あれについては、どのようにご覧になっていたでしょう。
仁坂 あのような時期に吉村洋文知事が、要するに「もう全面的な自粛から出よう」ということで、そのための基準をつくり、公表して、それにより「出よう」というメッセージを発しました。そして、このままだと大阪の経済が破壊されると言いました。
これは、すごく勇気の要ることだと思います。「大変、大変」と言う分には、勇気はそう要りません。不都合な事実を述べ立て、それで危機感を煽るのは、そう勇気は要らない。もう一つ、国の言う通りやっているのも、勇気は要りません。しかし、感染者がたくさんいるときに、ああいうことをおっしゃるのは、大変勇気のあることだと思います。
和歌山ではそれほど流行っていませんでしたが、それでもまだ感染者がパラパラと出ている状況で、私が同じことを言えば、やはり攻撃されたと思います。現に大阪府もあの当時、賛成と反対の投書がどっさり来て、反対のほうが多かったと聞きました。「吉村さんは何を呑気なことを言っとるんだ」「命のほうが大切だということが分からないのか」といった非難がたくさん来たそうです。それでも勇気をもって言われたことは、評価すべきだと思います。
ただ大阪府は当時、たくさんの感染者が出たため、少しドタバタして保健医療行政がやや破綻しかかっていた。あるいは、はっきり「破綻していた」と言...