●2020年4月に出た「緊急事態宣言」の問題点
―― 今(前回)のお話は、ご自分の所管部分でのお話でしたが、では現場を預かっている立場として、この国の政策をどうご覧になっているでしょう。
例えば2月末に発令された、学校の休校措置です。これにより全県の学校が、休校しました。あるいは緊急事態宣言が4月の7日にずれ込み、当時はやや遅いのではないかといわれました。他にもマスクを配るなど、今もいろいろいわれている政策が展開されました。そうした国の対応をどのようにご覧でしたか。
仁坂 これらについては、私も共犯者です。「国が」といって一方的に非難するのは、フェアではないと思います。
「共犯者」というのは、例えば「緊急事態宣言」を出すのは国ですが、「緊急事態措置」の発出者は多くの場合、知事です。一緒になって行動したわけで、逆らったわけでもない私が一方的に非難あるいは批判するのは、フェアじゃないと思います。
そのうえで自分の反省も込めて、あるいは自分の経験として申し上げると、2月終わりの小中高校の一斉休業要請は、私はポジティブに捉えました。なぜなら、コロナがそのうち収まると思っていたからです。
したがって皆さん、子どものことをいろいろ心配しているから、この際、学校は休みにする。もうじき春休みだから、ちょっと冷却期間を設けたほうがいい。政府もそう思われたと思いますし、私もそう思い、これには全然反対しませんでした。今から考えると、それは甘かったと思います。
2つ目の緊急事態宣言を4月7日に出したことについては、もっと早くやればいいのにと思っていました。少し遅かったかなと思います。その後、その宣言の対象を全都道府県に拡大したのが4月16日でした。これは時宜を得たことだと、その時は思いました。
当時、大いに流行っているのは大都市でしたが、大都市の影響は大きいですから地方に感染が広がる危険があります。ゴールデンウィークが間近に来ていたので、その時期に大いに広がるのではないかと政府が考え、実行した。私たちも、それはそうだろうと思っていました。
ただ、今から考えますと、緊急事態宣言即行動あるいは営業の完璧な自粛と、政府は考え、宣言されました。われわれもそのように受け取り、マスコミもそうだったと思います。学者さんは一番、そう言っておられた。その結果、自粛一点張りになってしまいました。
しかし、日本には感染症法と保健所の活躍があるので、少し行動を自粛するだけで保健所の活動がものすごく容易になり、それで最後は抑え込めることが実証されました。そちらの重要性は緊急事態宣言の時にひと言も発出されず、むしろ(接触減が)70パーセントとか80パーセントとか、そういう議論だけが盛んに独り歩きしていたと思います。
その結果、対策はまさに欧米のように、国民の皆さん、あるいはわれわれのような当局も含めて、全て自粛にかかっていると思い込んでしまった。ここが非常に問題であったように思います。
国民の行動の自粛、あるいは営業の自粛ばかりに頼ると、経済が吹っ飛んでしまいます。国民生活も別の意味で破綻するわけです。例えば、別の既往症が治されないままになるなど、大変な副作用があります。その副作用を恐れて、今また感染が従来以上に広がりつつあるのですが、緊急事態宣言即自粛と思い込んでいるがゆえに、なかなか緊急事態宣言が打てずにいるように思います。
そこは、どういう措置にするかということと、緊急事態宣言をして地域を指定していくことは別に考えれば、もう少し機動的にいろんなことができるのではないかと、今の時点では思っています。
●国民の協力一点張りの欧米と保健医療行政が効いた日本
―― ありがとうございます。引き続き伺いたいのですが、知事が現場の責任者であり、感染症法の責任者であるため、各都道府県によって状況が違ったところがあると思います。また国のメッセージによって変わったところもあると思います。例えば、政治の一つの手法に、キャッチフレーズ型の政治があります。「ロックダウン」という耳慣れない言葉を出したり、日々数値をどんどん強調し、「とにかく国民の皆さん、自粛してください」と訴える。特に緊急事態宣言に至る間、あるいは緊急事態宣言下において強調されました。
ただ7月末現在、感染者数がどんどん増える一方、国民は検査数が増えていることも分かっています。そこから、どのように恐れればいいかが、分からなくなっています。そこに対する政治側のメッセージが、よく分からない。当時強いキャッチフレーズがあっただけに、今何をしなければならないのか、国民の側には分かりづらい。
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