●権力を制限することがモンテスキューにとっての政治的自由
それでは、モンテスキュー『法の精神』についてお話ししたいと思います。
『法の精神』は大部の著作ですので、今回はもっぱらその権力分立論に密接に関わる部分についてご紹介しようと思います。このモンテスキューの権力分立論を考える際に重要なのがイギリスです。モンテスキューはフランス人でしたが、隣国イギリスについて政治的自由が発見できる国と表現しています。
これは大きなポイントです。このようにイギリスを称賛するにあたって、政治的自由に関して、モンテスキューは独自の解釈替えを行い、以下のように論じています。
「多くの人は政治的自由とは、自ら為政者や政治家を選び、暴君を追放できる権能や、あるいはよりシンプルにいうならば、望むことすべてを実行する能力それ自体だと考えているが、それは誤りだ。より正確に述べるならば、為政者の選出や、暴君の追放の権能が国民の一部もしくは全体に属していたとしても、それだけで政治的自由が保たれるわけではない」
このように、少し謎めいたことをいっています。
そしてこのように切り返すのです。なぜなら、「およそ権力を有する人間がそれを濫用しがちなことは万代不易の経験である」からです。要するに、誰が掌握しようと権力は必然的に濫用されるという、強力なメッセージを放つわけです。
また徳でさえ制限を必要とするとも主張しています。まさに国民の利益のことのみを考える有徳な政治家(一人ではなくて複数でもかまいませんが)を集めて、彼らに権力をゆだねて、思う存分統治してもらうという考え方もあると思います。徳治主義に似た考え方ですが、これもモンテスキューは否定しています。先ほど述べたように、「徳でさえ制限を必要とする」と主張するのです。
モンテスキューにとって、政治的自由にとって本質的なのは、制度的に権力が権力を抑止するようにすることだというわけです。権力同士が抑止し合うような制度をつくり上げることがとても重要なのだということです。
●名誉革命後のイギリスに政治的自由を見いだした
ではイギリスの話に戻りましょう。
実は、このような政治的自由はイギリスで発見できるというのはモンテスキューの議論ですが、彼は、名誉革命後のイギリスの国制は、まさにこの権力抑制のための制度づくりに成功を収めたと主張しています。つまり権力分立の体制を整えているために、イギリスでは政治的自由が認められるという主張なのです。
実はこの見方は、少しひねくれた見方なのです。多くの人の考え方では、非常に重要な革命である名誉革命によって達成されたのは、議会主権あるいは合意による政府という理念だとされています。それゆえイギリスでは政治的自由が確立されたとしています。例えば、イギリス本国でモンテスキューと並び称される自由主義のチャンピオンともいえる存在であるジョン・ロックは、まさにこの合意による政府という側面を強調しました。またフランス人のヴォルテールも、イギリスは議会主権と信仰の自由の保障で政治的自由を実現したと論じてきました。それに対して、モンテスキューの見方は完全にオリジナルな見方です。外国人が隣国を観察して、権力分立の存在こそが自由の証明だと主張したのです。
ただ、別の見方をすると、モンテスキューは、議会主権の確立はそれほど重視していないということにもなります。確かにモンテスキューは絶対王政を厳しく批判しましたが、一方で人民が完全に主権を掌握する純粋な民主政も、絶対王政と同様に危険という発想でした。その意味では、モンテスキューの議論の中に、狭義のデモクラティックな要素を探るのは少し難しいとも同時にいえると思います。
●三権分立はアメリカをはじめとした多くの国に影響した
もう少しこの三権分立について、議論を進めていきたいと思います。
イギリスの権力分立体制の中身についてですが、モンテスキューが注目した点は、法律のいわば“一生”を三つの機能に分けたという側面です。まず法律をつくる立法、法律の実際の執行、そして法律への違反を裁く司法という三つの機能が、法律を支えていることを示しました。そして、この三つの機能をそれぞれ異なる機関が担い、各機関の間でチェックアンドバランスを行うことが、三権分立だと主張したわけです。
特にモンテスキューの大きな貢献は、司法権の独立を明確に示したところにあります。モンテスキューが『法の精神』で述べた立法、執行、司法という三権の分立は、現在のわれわれには当然の区分のように考えられています。このように機能を三つに分けて別の機関に担わせるという発想は、18...