●モンテスキューとルソーの人物像
―― 先生、本当にありがとうございました。モンテスキューとルソーの対比を通じて、お互いの思想の違いが浮かび上がる講義で、非常に理解が進んだと思います。
その上でいくつか質問をさせていただきたいと思います。まず、お互いの主張を聞いていると、感覚的にではありますが、モンテスキューは非常に常識人というか、よくものを考え、世の中の酸いも甘いも噛み締めて理解している人だという印象を受けました。一方、ルソーの場合は、どちらかというと頭でっかちというか、本当に実現できるのかというところまで思考を煮詰めていってしまうタイプとお見受けしました。二人の実際の人物像は、どのようなものだったのでしょうか。
川出 まさにご指摘の通りだと思いますね。講義の中でもお話ししましたように、モンテスキューはワインの醸造家であり、経営者でもあり、法律家でもあり、同時に文筆家でもありと、マルチな才能を発揮した人物です。家庭にも恵まれ、晩年に目を悪くした際にも、妻だけではなく、娘が献身的にサポートしたというエピソードが残っています。良き家庭人でもあったのですね。
他方、ルソーは世間ではいろいろいわれていますが、有名なエピソードとしては、人に好かれるものの、なぜかその人とよく喧嘩する。そうしたことが非常に多い人です。最も激しく喧嘩したのは、ヴォルテールです。ヴォルテールとルソーの間の関係は、本当に泥仕合のようなものでした。ヴォルテールもすでに超大物であったにもかかわらず、ルソーごときになぜそんなに必死にというほど、意地悪な対応をします。一方のルソーも、ビシバシとヴォルテールを批判しました。
他にも有名なのは、ディドロとヒュームという二人の大物です。この二人はルソーを本当に可愛がり、サポートしました。しかしこの二人に対しても、最初は仲が良いのですが、結局は悪口三昧というと言い過ぎかもしれませんが、喧嘩別れしてしまうという人物でした。
ですので、身近にいるとなかなか厄介な人物だったかもしれませんね。最終的には孤独を愛した人でした。それゆえに、非常にロマンチックな孤独を描写した作品なども残しています。日本でも『孤独な散歩者の夢想』という作品はとりわけ人気がありますね。そして、ルソーはなぜか御婦人方に人気があるという意味でも、ロマンチックなところがあります。ただ、人物的にはかなり破格な人物だったと思います。
このように、ご指摘の通りなのです。エピソードを知れば知るほど、人物像は両極端だということが分かると思います。
●なぜルソーは女性に人気があったのか
―― 今の二人のエピソードを伺うと、モンテスキューの性格は分かりやすく、一方、ルソーの喧嘩っ早い性質も理解できます。ただ、先ほどルソーは女性に人気があるというお話がありましたが、どういう点で人気なのでしょうか。
川出 それは本当に不思議なのです。現代のフェミニストが読むと、ルソーは男性と女性の違いを強調する人で、市民のイメージもむしろ男性的な理解で、英雄を崇拝するというところがあります。女性の描き方も、少し古めかしいのですが、しかし同時にロマンチックな描写で、細やかな心情といいますか、そうしたものに寄り添うような小説作品を残しており、それが非常に受けたのです。
実際、小説が人気を博しただけではなく、ルソーはサロンの寵児でした。貴族の御婦人方が当時サロンを主催していたのですが、そこでも「ぜひ来てください」という扱いを受けていました。政治的にかなり危険な発言をして亡命を余儀なくされて、ほとぼりがさめるとフランスに戻ってくるという不安定な生活を送っていたのですが、そこでも常に味方になってくれるのは、そうした御婦人方だったそうです。どうしてそのような人間関係を築けていたのかは、いまひとつ分からないのですが。
しかし、小説作品や自伝作品の中において自分をさらけ出すことが重要なのかもしれませんね。自分の弱さのようなものを、臆面もなくさらけ出すのです。他人は厳しく批判して、自分は立派な人間だと誇るのではなく、自分も非常に弱くて未熟で問題含みであって、私はなぜこれほどだめな人間かということを、包み隠さず打ち明けるという性質が共感を呼ぶという側面も、同時にあったと思います。
●古代ローマを比較する方法、見方の違い
―― 二人の目指すべき政治をシステムとして見た場合に、ルソーの場合には、人が立派になれば理想が実現するという主張のように感じられました。人が理想的、道徳的であればという限定条件を付けてしまうわけですね。対してモンテスキューは、人はおそらく完全に立派にはなれないので、喧嘩していてもお互いに牽制し合う制度にしておけば、自ずと不協和から調和へ向かうという、人間観...