●諸集団の利害調整という「実体的三権分立」の考え方
ここまでお話ししてきた、国家の諸機関が機能的に分業を行い相互に監視し合うことで、三権が完全に独立するという理論を、整理のために機能的三権分立の考え方と呼びます。ここでは、それとは異なる視点を導入したいと思います。実際に『法の精神』では、この機能的三権分立とは異なる、もう一つの権力分立の考え方を打ち立てています。それは、「実体的権力分立」と呼ばれるものです。
これは、立法、執行、司法の三権のそれぞれが、王権、貴族、平民といった実体的身分集団の意志を代表し、それぞれの権能の行使を通して、諸集団相互の利害の調整を行うという考え方です。これが実体的三権分立ですが、実は機能的三権分立とは少しずれているのです。その点に関して、少しここで説明します。
ここで重要なのは、議会が二院制であることです。イギリスの議会は貴族院と庶民院の二院制を取っており、貴族は貴族院を通して、庶民は庶民院を通じて、自分たちの利害を表明するというシステムでした。対して、王様は執行権を握っていました。司法権は少し複雑になるので、ここでは割愛します。
●イギリスの党派争いの中に政治的自由を見たモンテスキュー
このように、この社会の制度の仕組みとして三権分立が保障されているだけではなく、その背後にある社会そのものが複数の諸集団に分かれていること、そしてその諸集団が利害を表明して、紛争が激化するかもしれませんが、妥協や競争、あるいは平和的問題解決にいたるという側面を、モンテスキューは重視しています。
今、指摘したのは、貴族や平民といった伝統的な身分に基づく集団ですが、それだけではありません。イギリスに一年半滞在したモンテスキューは、新しいタイプの社会集団の成立にも着目します。つまり、身分間の分立以外にも、党派あるいは政党間の分裂抗争が、イギリスで勃興しているという認識です。
政党に関していえば、今日の保守党の源流であるトーリとホウィッグの間の対立がありますが、実は18世紀の前半には、この対立図式を横断するような新しい図式が形成されました。それは、政権を担っているコート(宮廷派)と、ホウィッグであれトーリであれ、そこからはじき出されたカントリ(地方派)という党派の分裂です。ここではその中身には深入りしませんが、モンテスキューはその対立を目の当たりにして、大変興味深い指摘をしています。引用しつつご紹介したいと思います。
「あらゆる情熱はここ(イギリス)では自由であるから、憎悪、羨望、嫉妬、富や名声への熱意は最大限の拡がりの中で現れるであろう。そして、もしそうでなければ、国家は病気に打ちひしがれて、力を失ったがゆえに情熱を持たない人間のごとくになるであろう。
両党派は自由な人間から構成されているので、一方があまりに優勢になると自由の効果としてその党派は引き下ろされ、他方、臣民たちは身体を助け上げる手のように他の党派を引き上げにやってくるであろう。常に独立的である各個人は気まぐれや思いつきによく従うものであるから、誰もがしばしば党派を変える」(『法の精神』19編27章)
つまり、一方の党派があまりにも力を持ちすぎたと感じると、自由を愛する人々はあえて弱い党派につくことでバランスをとろうとするというのです。こうしたダイナミックな党派間の対立抗争の発生を、モンテスキューは高く評価するわけです。
●不協和の中の調和がもたらす政治的統合が自由な国家を特徴づける
実はこうした考え方の背後には、機能的三権分立だけでなく、実体的権力分立に関しても、彼の権力分立論を支えるモンテスキューの基本的発想があります。今日の政治学が用いる用語で、「多元的権力観」と呼ばれるものです。『法の精神』より前に書かれた『ローマ人盛衰原因論』という作品の中に、この点を表現している一節があるので、それをご紹介したいと思います。以下は、健全な政治体に関する定義づけです。
「政治体において統合と呼ばれているものは、きわめて曖昧なものである。真の統合とはすべての部分がいかに相互に対立しあっているように見えても、社会の公共善に向かって協力している、そのような調和からなるものである。それは、ちょうど音楽において、不協和音が全体の調和に協力するのと同じである」(『ローマ人盛衰原因論』)
不協和の調和とでもいいましょうか。これを実現している政治的統合が、自由な国家を特徴づけるという主張なのです。
少し説明を加えると、あまりにも対立が激しくなり、全体に向かうという要素がなくなってしまうとバラバラになってしまいます。逆に全員が同じことを考えて、全員が同じ利害関心を持って、一枚岩のようになることも別の意味で危険です。ですので、この...