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『法の精神』を支えていたのは全体と部分を往復する視点

政治思想史の古典『法の精神』と『社会契約論』を学ぶ(4)多様性を擁護する

川出良枝
東京大学大学院法学政治学研究科教授
情報・テキスト
イギリスの国政に理想的な政治的自由を発見したモンテスキューであったが、同時に本国フランスにはフランス独自の方法があることを強調した。そもそも国家や社会は、無数の条件に規定された唯一無二の存在であり、ある絶対的に正しい制度を導入すれば社会が改善されるというわけではない。全体と部分のどちらも尊重するモンテスキューの態度が、『法の精神』全体を貫いているのである。(全11話中第4話)
時間:06:44
収録日:2020/08/17
追加日:2020/10/10
≪全文≫

●フランスはフランスの方法で三権分立を達成できる


さて、前回お話ししたように、モンテスキューはイギリスに政治的自由を発見し、その三権分立体制を高く評価しました。それでは、本国フランスはどのように評価したのでしょうか。イギリスの立派な三権分立体制の自国フランスへの導入をモンテスキューが求めたと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそう単純ではありません。むしろそうではないと断言しても良いかもしれません。フランスはフランス独自の方法で権力分立を実現できる、とモンテスキューは主張します。

 実際、この実現はなかなか難しかったことも確かです。イギリスの議会に相当する、フランスの身分制議会である「三部会」というものがありました。しかし、ルイ13世が1614年に開催して以来、三部会は長く招集されないまま放置されており、議会にはまったく期待できないという状況でした。しかし、パルルマン(高等法院)という裁判機関が別に存在していました。実は、モンテスキューはボルドーの高等法院の副院長を務めていました。ただ、全然仕事熱心ではなく、他の人に仕事を任せて文筆活動とワインの醸造に励んでいたという逸話が残っています。

 ただ、いずれにしても高等法院というものが存在していました。高等法院が法律(王令)を登録することで、初めて法律として正式に発効するという仕組みが取られていました。この仕組みを用いて、王権に対して高等法院が一定の制限機能を果たしました。したがって、こうした仕組みを用いて、フランスでも十分に権力分立を達成できる、とモンテスキューは主張しました。主張としては少し弱いという印象も拭うことはできません。ただ、この発想の背後にある考え方は、独立してスポットライトを当てるだけの価値がありますので、少し説明を加えたいと思います。


●多様な国家や社会が存在する中で絶対的に正しい制度は存在しない


 そもそも、モンテスキューは他国の制度を導入すればそれで事足りるという考え方に対して、反発していました。『法の精神』は、国が異なればその法律や制度も異なるのが自然だと、繰り返し主張した作品でもあるのです。この点に関して引用します。

「法律は、それらが制定された人民に固有のものであり、もしも一つの国民の法律が他の国民にも適合したとしたらそれはごくまれな偶然であるというほどでなくてはならない」(『法の精神』1編3章)

 君主政か民主政か、あるいは専制か貴族政かなどの、政治体制の違いや、気候、そして実は非常に重要な点ですが、国土の大きさ、国民の生活形態、経済水準、宗教、文化や習慣といった様々な要因が、複雑に絡み合って形成される一つのシステムが、それぞれの国家、社会である、とモンテスキューは考えたのです。

 すると、他国で良い結果をもたらす制度が、自国で同じ結果をもたらすかどうかは、慎重に考慮しなければなりません。つまり、固有のシステムの中に新たなものが投じられた場合に、どのような結果が発生するのかということは、単純には分からないということです。

 したがって、普遍的に正しい原理や制度があって、それを適用すれば問題はただちに解決するという考えは、あまりにも未熟である、とモンテスキューは主張しているのです。

 それぞれの法律や社会を特殊で相対的なものと見なし、その多様性を擁護するのが、『法の精神』のもう一つの重要な特徴なのです。


●全体と細部を往復して捉えるモンテスキューの態度


 さて、少し固い話ばかりが続いてしまったので、最後にこうした相対性や多様性を擁護する、あるいは社会をシステムとして捉えるというモンテスキューの発想を、図らずもよく示しているエピソードを紹介したいと思います。

 冒頭でもお話ししましたように、モンテスキューは長期にわたりヨーロッパを旅行しました。その旅行記が残されているのですが、その中でイタリア滞在中に、モンテスキューは次のような一節を書き記しております。

 「町に着いたとき、私はいつも一番高い鐘楼か塔に登る。部分を見る前にすべてを全体として見ておくためにである。また町を離れるときにも、同じことをする。自分の考えを確実にするためにである」(Montesquieu, Voyages)

 具体的にどの塔に登ったかという記述はありませんが、この前後でローマの滞在の話が出ていますので、おそらくその時に書き記したものだと思われます。まさに全体を俯瞰して、細部を確認し、そして最後に再び俯瞰する。全体と部分を往復するこのような視点こそが、『法の精神』を支えていたのです。
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