●13年の借金を3年で完済
童門 まず静岡商法会所というのをつくった。これは商工会議所とはちょっと違うんですね。むしろ今の協同組合か、いわゆるJAがする金融業みたいなものでしょうかね。まず武士たちに刀を捨てさせようとしますが、彼らに米作りはできない。それから時代の目玉商品になっている絹(つくり)、これも難しい。「やれるのはお茶だけだろう」となって、お茶の生産協会をつくろうとなった。
だけど、これもやはり最初の資金が要るんです。それをまず静岡のお金持ち、富んだ商人とか大地主とか、こういう人たちに話を持ち掛けて出資をしてもらう。そして、これをただ借りるのでなく、その資金が生きて利益を上げるようになったら、その1割とか2割をバックするという、そういう株式の制度をここでまずやってみようとなるわけですよ。
その頃、ちょうど政府が新貨幣を発行しました。太政官札というのを。それを普及するために、各大名家に貸し付けていたわけです。それで、大名の知行1石について1円だということで、70万円来たわけですよ。
── 70万石ですからね。
童門 これが13年賦で利子が年3分となっていたんですが、事業が成功してお茶が飛ぶように売れて、浪人たちもたつき(生活)のめどが立って、13年で返す金を3年で返してしまった。それがうわさになって、政府の耳に入る。この頃、政府の大蔵省は真っ赤っかの火の車で、それからさらに、太政官札を出した裏には、藩が出していた藩札がある。
── 藩のそれぞれの紙幣ですね。
童門 そうですね。今でいう自治体の起債みたいなものですね。それを全部引き受けてしまっているから、どうしていいか分からなくなってしまっていた。本当の火の車。そこで、「うまく成功したという渋沢なる者を呼べ」と言ったんです。「それに仕事してもらおう」と。それで使いが来る。もちろん渋沢は、前回言った和魂を重んずるほうですから、「忠君は二君に仕えずという言葉がある。私の主人は徳川慶喜さん一人だ。お断りする」と。しかしその使者もそのまま帰るわけにいかない。慶喜さんに頼むわけです。
そして渋沢が慶喜に呼ばれます。「おまえ、断ったそうだな」「断りました。私の主人はあなただけです」と。「そりゃうれしいけども、今それをやると、徳川慶喜は渋沢栄一を使ってまた何か謀反の資金を稼いでいると言われてしまう。俺は朝敵の汚名を一日も早く晴らしたいと思っているときに、おまえが足を引っ張ることになる。頼むから政府へ行ってくれ」と。それで、行ったわけです。行ったら途端に「主税頭(しゅぜいのかみ)」になってしまった。
●大蔵省に助っ人として呼ばれる
── 当時、大蔵省にいたのが大隈重信とか……。
童門 大隈重信、これがいわゆる次官です。それから、大臣は伊達宗城(むねなり)。
──旧宇和島藩の。
童門 そう、現在の愛媛県、かつての宇和島藩主ですね。そういう構成です。それで少輔というのかな、いわゆる局長をしていたのが伊藤博文。それで結局、宇和島さん、大隈さん、特に大隈さんがはじめ嫌がったんですよね、渋沢を。
── 旧幕臣なんか連れて来たから。
童門 そうそう。ところが、大隈さんが言うのは、「今日本は非常に困っているので、神様が助っ人をしてくれる。だから政府に日本の神々が集まる。おまえはその中でも大変な神様なのだ。財政担当でぜひ力を貸してほしい」。というのは、制度を変えてから、いかに太政官といっても、やはり大化の改新の時のそのままでは機能しない。そこで、組織の改正、制度の改正、それに行政内容、政策の改正。これを一切、全部預けられたわけです。それで彼の仕事が大変に忙しくなってしまったんですね。農地改革から、税制改正から、鉄道の敷設から、それから役人制度などいろいろと来てしまったから。結局、仕事は面白いんですけどね。
伊藤がアメリカに行って、簿記の制度を担いで帰ってきた。それを彼に「改正担当の渋沢さんの仕事だよ」といわれて、すぐにばーっとやっちゃう。それはいいことですから。
●西郷隆盛、大久保利通との予算をめぐる攻防
童門 そうすると、得能良介という薩摩藩士のすごいのが、やはり渋沢の下にいたんですが、これが怒鳴り込んできて、「あんたはハイカラだと聞いてたが、こんなことまでやるのか。日本のかつての帳簿と算盤のほうがよっぽど役に立つ、戻せ」と言ってね。「そうはいかないんだよ。このほうがよっぽど出納のありさまがはっきりするし、やはり近代化するためにはそれが一番いいんだから」。ところが、「何を言うか」っていうんで、押し倒されちゃって。
──そうですか。小突くような感じですかね。
童門 そうです。それで、「今は仕事の話をしてるんだから我慢するけど、暴力はよくないよ」と言うわけです。そうして、得能あた...