テンミニッツTV|有識者による1話10分のオンライン講義
ログイン 会員登録
テンミニッツTVは、有識者の生の声を10分間で伝える新しい教養動画メディアです。
すでにご登録済みの方は
このエントリーをはてなブックマークに追加

「400万台クラブ」を超えた先の戦略は正しかったか?

ゴーン改革の反省とグローバル経営の教訓(5)拡大の転機

西川廣人
日産自動車株式会社 元代表執行役社長兼CEO
情報・テキスト
カルロス・ゴーン氏の経営は「前半が素晴らしく、後半に課題を噴出した」と言われる。その転機は2005年以降だろうと西川氏は振り返る。日産自動車には多彩な人材が集まり、現在の同社を支える人材に育っている。また、当時「400万台クラブ」ということが言われていて、ここを安定的に超える規模になったことは大きかった。しかしその後、ペースをどうするかの判断が難しかった。成長と規模増大一辺倒のやり方には一考の余地があったのではないだろうか(全9話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:11:50
収録日:2020/11/10
追加日:2021/05/31
≪全文≫

●「地域軸の長はほとんど日本人ではない」状況から脱却するために


西川 私も含めての話ですが、日本の大きな会社は「機能別」に充実させて一本調子で成長してきた会社が多いです。ですから、人事的にいうと機能別で、悪い言葉で言えばタコツボになっている。なかなか機能から機能へ行かないし、就職をしたらもう一生「私は、こういう部署にいます」というのが普通のキャリアパスだった。そうすると、先ほど申し上げたような人材がなかなか数として出てこないという問題がありました。

 そういうなか、日産の日本の人材はやはり機能別にキャリアを積んできた人間ですから、そのいい面はあるのですが、ビジネスリーダーになれる人間がなかなか出てこない。では、営業経験だけのある人間が全部できるかというと、これは難しいですし、収益管理をやっていたから経理ができるかというと、これもできない。

 やはりいろいろな機能を束ねてボトムラインを管理するという事業運営を、ある程度の年齢で経験した人間でないと、先ほど申し上げた大きなマトリクスのなかで、事業運営のセンスを持ってリードする人が、ちょっと不足するという状態が目立ってきたというようなことだと思います。

 ですから、ふっと気がついてみると、グローバルで見たときに、地域軸のPDCAを回す長はほとんど日本人ではない。一方でグローバルな機能の軸はほとんど日本人だというような状況になってしまった。これから先、安定的にやっていく上で、これはまずいよね。やはり日本人のビジネスリーダー的なセンスを持った人間が、もっともっと育たなくてはいけない。そんなことを感じ出したのが、ちょうどこの半ば頃だと思います。

―― 日産自動車は、2005年以降、ある段階までは、ものすごく優秀な人が集まり始めますよね。

西川 やはり「リバイバル」ということで、相当注目を集めました。しかも、それがグローバルなマネジメントの中で行われているということで、そういうチャレンジをしてみたいという方たちは、新卒の若い方も、どこかでキャリアを積んだ方も含めて、いろいろな人材が入ってきた。そういう時代だったと思います。

―― 最も優秀な人たちが日産に集まってくる時代でした。

西川 そうですね、そういう時代だったと思います。振り返ってみると、もちろん今、それが大きな財産になっているのですけれども、うまくいった場合と、うまくいかなかった場合もあると考えられます。

 うまくいった点からみると、その時代、かなりいろいろなレベルで人が入りましたので、上のほう(の年代)で入った人も、20~30代で入った人もいます。その後は工夫をずいぶん行ったので、20~30代で入った皆さんは、その後、「機能」の経験もするし、「ビジネス」の経験もするようになりました。そういうことも、ずいぶん工夫しました。彼らが今、30~40代を越えて40代後半から50代にかかっています。そうすると、われわれが2005年に経験した頃よりは、かなりビジネスをリードできる人材が厚くなってきているのではないか。ぜひこれから活躍してほしいと思います。

 一方で、当時の状態では、まだ、上のほうの経営層として人が入ってくると、中にいる人との間でなかなか融和しにくかったことがあります。先ほど申し上げた日産のなかの仕事の仕組みも、まだまだ十分成熟していなかったでしょうし、まだまだ機能軸が強いなかで、ビジネスリーダーの資質を持っている人がポッと入ってきたときに、浮いてしまうようなこともありました。

 恐らく人材のプールとしてみた場合に、ある程度の規模の組織を運営した経験者は、今の人材のプールに比べると、外部から人を呼ぶときに薄かったのではないかという気がします。もちろん、いないことはないのですけれども、経験をしたところが小さな組織だったり、グローバルでなかったり、非常に特殊な職種だったりして、なかなか人材のプールも今ほど深くて広いものではないということだったと思うのです。

 そういう意味で、成功した部分として、うまく将来のアセット(asset: 資産、財産)になった部分と、うまくいかなかった部分というのが、いろいろあった時代だと思いますね。


●400万台達成以降も「規模の増大」を追ったことの反省


―― その後、いろいろな体制やリージョン(region: 地域)のところを整えながら、リーマン・ショックを経て、2017年ぐらいには世界一の自動車会社になりますね。

西川 規模で? 台数ですか。

―― 台数で。

西川 成長というところで見る場合、これは評価が定まっていないのでなんとも言えないのですが、1990年代の日産自動車というのはやはり300万台行くか行かないか、280万台ぐらいの会社だったと思います。当時、グローバルに生き残るための「400万台クラブ」というのがありましたですね。...
テキスト全文を読む
(1カ月無料で登録)
会員登録すると資料をご覧いただくことができます。