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警告書『Japan as Number One』と半導体摩擦の実態

シリコンバレー物語~IT巨人の実像と今後(4)前史としての“Japan as No.1”

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授
概要・テキスト
1979年、『Japan as Number One』という本が出版される。日本人は「世界一のお墨付き」をもらえたと喜んだが、実は「日本が世界のトップになったら、アメリカ人はどうするのか」という警告の書だった。日本の高度経済成長がアメリカの牙城である半導体にまで踏み込んだ事実は脅威的だったのである。(全7話中第4話)
≪全文≫

●日本賛美ではなく警告だった『Japan as Number One』


 前回はシリコンバレーの情景をお伝えしましたが、今回からはいよいよ皆さんと一緒に、シリコンバレーがどうしてこうなったかという歴史について考えてみたいです。

 シリコンバレーが世界の半導体の製造基地だったことは(第1話で)お話ししましたが、戦前はめぼしい産業はなく、第二次大戦中に軍需産業が立地するようになっていました。1960~70年代、世界中で半導体産業が非常に発達した頃に、スタンフォード大学を中核としてITベンチャー企業が集積していきます。そうした半導体生産とITの集積を指して「シリコンバレー」と呼ばれるようになったのだそうです。

 同時にその頃、日本の産業が大変な高度成長を遂げます。1960年代の日本は年率平均10パーセントで成長していて、高度成長の真っ最中でした。その後も日本はどんどん高度化していって、80年代にはアメリカを脅かすような工業国になったわけです。

 その頃(1979年)、エズラ・ヴォーゲル氏が『Japan as Number One』という本を書きます。日本の人は、これを「日本が世界一だ」だと思い込み、「Japan is」と言ってしまいますが、実は「as Number One」です。つまり、「もし日本が世界のトップだったら、アメリカ人はどうするのか」という警告の本であるわけです。

 ありとあらゆるところで日本が先に行きそうだが、どうするのかという本であり、まさに当時の状況を表しています。


●驚異の発展を遂げた日本が起こした「半導体摩擦」


 いろいろな経済の連関が見える産業連関表をたどると、日本は驚異の発展を遂げています。例えば消費財でいうと、日本はもともと絹織物から始まり綿織物になるような、産業革命の初期のようなことをずっとやっていました。それがやがて白物家電をつくるようになり、テレビで力を持っていく。これが消費財の流れです。

 しかし、生産材はさらにめざましいです。戦後の日本は焼野原ですが、まず九州の炭鉱を深掘りして得た石炭を原料に、鉄鋼産業を起こしていきます。それで鉄鋼産業が発達すると、造船ができる。造船は大雑把な機械ですが、その精度がもう少し高くなると、工作機械をつくる。工作機械は産業の母ですから、そこから自動車産業が強くなっていく。それが電子化す...
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