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貴種流離譚――源頼朝と八重が織りなす悲恋の物語とは

鎌倉殿と北条氏(2)流人の恋と貴種流離譚〈上〉

坂井孝一
創価大学文学部教授/博士(文学)
情報・テキスト
執権北条氏の始まりは、流人・源頼朝の恋多き資質と関係が深い。最初の事件は伊東祐親の末娘・八重との悲恋であり、その別れが北条政子との出会いへとつながっていく。そこには「貴種流離譚」という物語の型が重なるため、事実は見えにくくなっているが、貴種として京都で養われた頼朝の色好みが関東武士の常識を揺るがせたことがうかがえる。(全9話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:11:57
収録日:2021/11/08
追加日:2022/01/16
タグ:
≪全文≫

●伊豆時代に起こした源頼朝の女性問題


―― 前回、北条政子の力が非常に大きかったというお話をうかがいました。源頼朝にとっても政子と結婚した意味は大きかったでしょうが、それ以前の頼朝のいわゆる女性問題がちょっと気がかりになっています。

 そもそも北条のところに来た時も、初めから政子と結婚しに来たのではなく、女性問題があって来たということでした。頼朝をめぐる女性問題ないし女性関係についてお聞きしたいと思いますが、最初はどういう経緯なのでしょうか。

坂井 はい。伊東祐親には娘が4人いるという話が、『曽我物語』や『平家物語』などの軍記物語に載っています。

―― 前回のお話にあった、もともと頼朝が配流先として行ったところですね。

坂井 流罪に処された土地ですね。今の伊東温泉のところです。

 伊東氏は平家の家人ですから、平家が隆盛を極めてくるにつれて非常に大きな力を持つようになっていきます。そこに4人の娘がいて、長女が北条時政の妻になっていたらしいのです。そして2番目から4番目と続く中、2番目も3番目もそれぞれ東国武士の妻になっています。

 ここで『曽我物語』や『平家物語』などの軍記物語について申し上げると、これらは流人時代の頼朝のことを書いたほぼ唯一の史料です。ところが、軍記物語は文学作品ですから、文学的脚色も入っているので、歴史的には注意して使わなければいけないということになります。

 それらによると、祐親の三女という記述が出てきますが、これはおそらく時政の妻になっていた長女を抜かしたためと思われます。本来なら次女、三女、四女がいて、そのうち次女と三女はすでに東国武士の妻になっている。そして、一番末の娘が相当な美しさを持っていた女性らしく、頼朝が思いを寄せてしまい、二人は結びつくのです。しかし、それは親の祐親がいない間のことだったという話になっています。

―― なるほど。


●監視者・伊東祐親の留守中に末娘と結びついた源頼朝


坂井 祐親は「大番役」で都に上っていました。当時、地方の武士たちは交代で都に上り、天皇や院の御所の警備をしなければなりませんでした。それも3年間、往復の費用も滞在費用も自腹を切って、つまり自費で行うことを課されていたのが平安時代末期という時代でした。そのため、祐親は3年間本拠地を留守にします。その間に頼朝は親の目を盗み、美しかった末娘に声を掛けたのです。そうして二人が結びついてしまったということです。

―― 基本的に、流罪で罪人として来ている人が預けられた家の人と恋に落ちて結ばれてしまうのは、許されることだったのですか。

坂井 本来であれば許されないと思いますが、頼朝は一応貴種ですから、普通の東国武士よりもはるかに格が上なのです。

―― それは、例えば「位」ということですか。

坂井 位ももちろんそうです。朝廷の与える官職があり、頼朝は京都にいた頃、13歳であるにもかかわらず「右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)」という、地方武士が一生かかっても到達できない役職に任じられています。平治の乱で流罪になりますから、もちろんその役職は取り上げられて流人として下ってきていますが、格が違うというのはそういうことを意味します。

 そこで、平家の家人である祐親も、ちゃんと伊東の御所(史料上は「北の小御所」)という住居をつくってそこに頼朝を入れ、生活を見てあげます。監視者であるはずの祐親が衣食住全てを供給するという状態です。

―― そんなに厳しいものではなく、軟禁のような感じですね。

坂井 「軟禁」とは違いますね。例えば、どこかの場所に「幽閉」されるというのとも違います。今でいう中学生ぐらいの年齢で流されてきたわけですし、自分の家臣たちも1人もいない。親族も殺されてしまっているという中ですから、事実上、逃亡はできません。そういうことから、比較的自由な生活を送ることができたのです。

 祐親が大番役として伊東を留守にした頃、(頼朝は)20代の後半、あるいは30歳近くになっていました。そこで恋をするという形で末娘と結ばれて、子どもまでつくってしまいます。それが「千鶴丸」という男の子でした。


●「貴種流離譚」にみる源頼朝と八重の物語とその後


坂井 男の子の母親のほう、つまり祐親の末娘は、中世の史料には名前が出てきません。もともと女性の名前は伝わりにくく、有名な女性でも名前が分からないことが多いのです。例えば、「誰それの母」などというような形で出てきます。

―― あるいは誰それの娘というような形ですね。清少納言もそうですね。

坂井 そうですね。そのように「実名(じつみょう)」が分からない場合が多いのです。頼朝が千鶴丸を産ませた祐親の娘も「祐親の娘」としか出てこなくて、名前が分からなかったのです。

 ところが中世末...
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