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なぜ徳川家治は名門大名ではない田沼意次を重用したのか

徳川将軍と江戸幕府~家重、家治、家斉編(3)家重・家治と田沼意次の関係

情報・テキスト
徳川家治
出典:Wikimedia Commons
10代将軍・徳川家治の時代に活躍したのが田沼意次であり、さまざまな改革が行われた。なぜ家治は、三河由来の名門大名ではない田沼意次を抜擢したのか。あるいは、なぜ田沼意次が家治の信頼を得られたのか。その背景に迫る。(全5話中3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
時間:10:41
収録日:2020/12/14
追加日:2022/01/29
≪全文≫

●田沼意次と松平定信


―― 次は10代将軍・徳川家治についてです。1760年から1786年の26年間、統治しました。徳川家治といえば、田沼意次です。田沼が行ったことは、財政赤字を食い止めるための重商主義政策、「株仲間」の結成、鉱山開発、蝦夷地開発等々があります。

 まず、家治がどうして田沼を抜擢したのか。そして、家治はかなり英明な君主だったけれども、「田沼に任せておけば幕府の治世はなんとかなる」となぜそこまで田沼の行うことを是としたのか。このあたりをぜひ教えてください。

山内 田沼家は、紀州から徳川吉宗が将軍として江戸に入った時についてきた家柄でした。もともと紀州家の家臣なので、江戸から見れば陪臣で、しかも小臣でした。このことが後々、松平定信などと非常に大きな対立を生むことになります。定信は非常に立派な、器量の大きな政治家だったけれど、彼が唯一見せた器の小さなところは、田沼に対して「絶対に許さない」という個人的憎悪があったことです。

 それはいろいろと理屈があるのですが、結局、彼自身が父と同じように将軍になれなかったからです。それを阻害したのは田沼なのだ、ということがあるのです。

 それからもう1つは、自分のような人間、つまり(松平定信は)吉宗の孫ですから、その毛並みの良さと能力の高さから、非常に自分を恃むところが大きかったのです。意次と定信は、比較すると非常に面白いです。


●田村意次を使える男だった


山内 田沼が重用された理由が2つあります。まず徳川綱吉の時の柳沢吉保がそうであったように、徳川家重には大岡忠光という側用人がいました。家治にはご指摘の田沼がいました。彼らに共通しているのはまず、譜代の正統的な血筋ではないということ。要するに、三河由来の名門旗本、名門大名ではないということです。

 徳川の政治体制は、4代将軍の治世の大老・酒井忠清に象徴されるように、将軍が直接統治をしなくても、大老や老中が集団指導体制をもって機能していれば成り立つようになっていました。そのため、将軍はよほどの器量を持った人間であっても結局、大老、老中の合議制システムに委ねていくことが大きかったのです。

 しかし、綱吉のような個性的な将軍、吉宗のような有能な将軍が出てくると、将軍は自分の意思をいかに政治に反映させるかということに悩みます。

 2つ目ですが、自分の政治や統治に関する意思の反映とは関係なく、将軍も政治家であると同時に一個人の生活者ですから、生活者たる自分にとって一番利便性の高い、いわば“使える人間”を求めるところがあるということです。そのときに三河由来の名門大名――酒井や本多、榊原、井伊といった大名たち――は当然、使い勝手が良くないのです。

―― なるほど、そうですね。

山内 吉宗の場合でさえ、紀州から連れてきた加納、有馬という2人を使いました。家重の場合も、大岡という人間を使いました。田沼も基本的にそうなのです。家治にとって若い時から側に仕えていました。父の意行(おきゆき)も吉宗由来の側用人です。もともと田沼家は家重に仕えていたのです。

 田沼はどうして権力を持ったか。大岡が死んで、家重の側用人として力を発揮した田沼について、家治の父であり将軍だった家重の思し召しによって「そのまま家治にも仕えよ」ということがあったのです。だから、家重もそういった判断力がある人間であり、決して小便公方だったとか、言語障害があったということだけで見てはいけない人間なのです。

―― なるほど。それはすごいことですね。

山内 家治もとりあえず使ってみて分かったけれども、田沼は普通の凡百の大名から来た老中たちよりも使える男だったのです。何よりも将軍の意思をきちんと守る。それから将軍を裏切ることがない。こういったことがいくつかあり、とにかく任せたということなのです。


●徳川家重は決して凡庸な将軍ではない


山内 家重が凡庸ではないことをもう少し続けるとすれば、彼は言葉が不自由だったので、彼の言葉を理解する人間は老中以下いませんでした。つまり、理解できなかったのです。唯一、側用人の大岡だけが明確に家重の意思を読み取ることができました。言葉も理解することができたということです。だから、家重はそういった判断をすることができたけれども、それをうまく表現できなかったと考えたほうがフェアではないかと思います。

 もし、大岡がアンフェアな人間、あるいは非常に欲深い人間だったら、なんでもできたでしょう。ところが、家重が彼を領地の加増などで随分引き立てようとしたけれど、結局武蔵岩槻の2万石のみでした。柳沢吉保のように、生前に15万石や20数万石といったように...
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