●外国の文化に触れて日本を自覚した明治の青年たち
文化は「型」です。外国へ行っても、やはり型ですよね。料理もそうです。スープやオードブルから始まる、シャンパンやワインが出る、などというのは1つの型です。
こうした型を折口信夫は「生活の古典」と言っています。生活の中にもクラシックな部分が必ず残る。これがグローバルな社会でその国の地域性や国民性をどう生かしていくかという、大きな現代的テーマになっているのです。
日本の近代化の特徴は、江戸幕府が明治新政府になると同時に文明開化政策によって外国文化を受け入れてきたことです。これは西洋が200年ぐらいかけてやった近代化を70年ぐらいに圧縮して行うということです。西洋の学問や科学、生産技術のほうがずっと進んでいるので、それに追いつかなければということになるわけです。
そうした状況下にあったこの時代は、明治時代の中でも一番苦しい時代でした。明治10(1877)年頃には西南戦争、神風連の乱など、さまざまな事件が起こります。そんな時代の日本にやってきたお雇い外国人の1人に、エルヴィン・フォン・ベルツがいます。ドイツの最先端の医学を日本に教えてくれた人で、彼が日記を残しています。明治9(1876)年の日記の一文で、少し読んでみます。
「現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした』とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと『われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑をうかべていましたが、わたしが本心から興味をもっていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。」(『ベルツの日記』より)
明治9年、10年の日本人たちは、自分たちに文化などあるのだろうかと思っていた。ところが、そういう思いでいた青年たちが、外国の文化に触れることによって日本を自覚する時代がやってくるのです。
最初は美術史を学んだ岡倉天心です。岡倉天心の『茶の本』などでは「東洋の文明も大切にしなければなら...