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柳田國男『遠野物語』に感銘、折口が説いた「生活の古典」

折口信夫が語った日本文化の核心(4)折口信夫の「戦後のメッセージ」

上野誠
國學院大學文学部日本文学科 教授/奈良大学 名誉教授
情報・テキスト
柳田國男
出典:Wikimedia Commons
日本人は明治期に日本が近代化する過程で、自分たちに文化があるのか疑問を持つようになる。そうした中、外国の文化に触れることで日本を自覚する岡倉天心や新渡戸稲造のような青年たちも現れる。一方、日本人の生活を見直すことで、日本文化を語ろうとしたのが柳田國男と折口信夫である。戦後の折口信夫は、愛弟子の戦死という不幸に見舞われながらも講演活動を始める。日本人の心がすさんでいる中、「華道学術講座」で語った貴重なメッセージがある。なぜお花を勉強するところで語ったのか。その意味とともに折口信夫のメッセージを聴いて本シリーズの締めくくりとする。(全4話中第4話)
時間:18:24
収録日:2022/09/13
追加日:2023/01/16
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≪全文≫

●外国の文化に触れて日本を自覚した明治の青年たち


 文化は「型」です。外国へ行っても、やはり型ですよね。料理もそうです。スープやオードブルから始まる、シャンパンやワインが出る、などというのは1つの型です。

 こうした型を折口信夫は「生活の古典」と言っています。生活の中にもクラシックな部分が必ず残る。これがグローバルな社会でその国の地域性や国民性をどう生かしていくかという、大きな現代的テーマになっているのです。

 日本の近代化の特徴は、江戸幕府が明治新政府になると同時に文明開化政策によって外国文化を受け入れてきたことです。これは西洋が200年ぐらいかけてやった近代化を70年ぐらいに圧縮して行うということです。西洋の学問や科学、生産技術のほうがずっと進んでいるので、それに追いつかなければということになるわけです。

 そうした状況下にあったこの時代は、明治時代の中でも一番苦しい時代でした。明治10(1877)年頃には西南戦争、神風連の乱など、さまざまな事件が起こります。そんな時代の日本にやってきたお雇い外国人の1人に、エルヴィン・フォン・ベルツがいます。ドイツの最先端の医学を日本に教えてくれた人で、彼が日記を残しています。明治9(1876)年の日記の一文で、少し読んでみます。

 「現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした』とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと『われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました。なかには、そんな質問に戸惑いの苦笑をうかべていましたが、わたしが本心から興味をもっていることに気がついて、ようやく態度を改めるものもありました。」(『ベルツの日記』より)

 明治9年、10年の日本人たちは、自分たちに文化などあるのだろうかと思っていた。ところが、そういう思いでいた青年たちが、外国の文化に触れることによって日本を自覚する時代がやってくるのです。

 最初は美術史を学んだ岡倉天心です。岡倉天心の『茶の本』などでは「東洋の文明も大切にしなければならないのではないか」といったことを述べています。また、植民地学や現在でいう植民地経営学(論)といった発展論のような研究をやっていた新渡戸稲造の『武士道』なども、そうした本の1つでしょう。さらに、鈴木大拙の『東洋の心』なども、われわれにも大切にしなければならない文化があるのではないかと述べています。

 彼らに共通しているのは、実際にヨーロッパ・アメリカに行き、そこで見てきたものから自分たちのことを考えるようになることです。


●日本人の生活を見直した柳田國男と折口信夫


 そうした観点から、日本の文化が見直されてきます。東京大学には、日本について勉強する部門はありませんでした。ようやく明治の半ばすぎから整備が始まります。最初は「古典講習科」という正規ではない形から始まり、ここから日本人が日本人の生活をもう一度見直し、日本の文化を語ろうとする流れが始まります。これを最初に切り拓いたのが柳田國男です。

 柳田國男の『遠野物語』には「外国にある人のために」ささげるといったようなことが書かれています。柳田國男は当時のフランスの自然主義文学の影響を受けた人たちの書物を読んだうえで、「日本に伝わる物語にも、われわれの人生を考えさせてくれるものがある」ということで『遠野物語』を書きました。

 その『遠野物語』を読み、やはり日本のことを勉強すべきと感じたのが折口信夫です。たまたま神田の古本屋さんで見つけ、「ああ、これだ」と思い、柳田國男に弟子入りするのです。

 折口信夫がもともと学んでいたのは、日本の古典と朝鮮語でした。そこから自分の学問のあり方を見つめ直し、発展させていったのが折口信夫の学問です。

 折口信夫、柳田國男の学問は、日清・日露の戦いから第1次世界大戦、第2次世界大戦、太平洋戦争、敗戦を挟んだ戦争の時代の1つの生き様です。

 戦争と戦争の間に、ほんの少しだけ平和な時代がある。明治、大正、昭和20年代までの日本は、そんな感じの国でした。戦争、少しだけ平和、またすぐ戦争。そうした中で、例えば日本人の信仰心はどのようであるべきか。例えば、内村鑑三はそうしたことを考えた一人です。鈴木大拙は、東洋の思想と西洋の思想を一体化させることで戦争がない社会ができるかもしれないと考えます。晩年の鈴木大拙は...
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