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丸山眞男の盟友ロバート・ベラーの問い「日本はどこに?」

グローバル化時代の資本主義の精神(5)グローバル市民社会への貢献の鍵~弱い規範としての「禮」

中島隆博
東京大学東洋文化研究所長・教授
情報・テキスト
ロバート・ベラー
丸山眞男の盟友であったロバート・ベラーは、日本びいきという一面がある。だが、同時に、彼が投げ掛けた問い「日本はどこに?」は、日本への問いかけであり、「グローバルな市民社会に資するような資本主義の精神とは何でありうるのか」に関わっている。それは、「哲学は今、何ができるか」への回答でもある。(2014年11月7日開催日本ビジネス協会インタラクティブセミナー講演より、全6話中第5話目)
時間:14:04
収録日:2014/11/07
追加日:2015/06/01
タグ:
≪全文≫

●ロバート・ベラーが説いた「市民宗教論」


 ロバート・ベラー。これは亡くなる1年前に東大に来て講演した時の写真で、彼は丸山眞男の盟友でした。ちなみに丸山眞男という人は「福澤惚れ」というのでしょうか、福澤諭吉の精神を継承しようとした人でもありました。

 ベラーは宗教社会学をやった人で、『宗教とグローバル市民社会 ロバート・ベラーとの対話』を出しています。彼をとりわけ有名にしたのは、「市民宗教論」です。彼は「アメリカを支えているのは、市民宗教である」と言いました。既存のキリスト教の○○教会などというものではなく、アメリカ全体が一種の市民宗教を持っている。それがアメリカの精神なのだと言ったわけです。

 その精神に訴えることによって、彼はベトナム戦争に対して、「この戦争は、アメリカのシビリゼーションに反する」という論陣を張って反対していった人でした。


●ベラーの問い「日本はどこに?」


 彼は日本びいきの人ですが、東京大学駒場(UTCP)で行った講演では、こんなことを言いました。

 「日本は世界の大国であり、第三の経済大国であり、驚いたことに、海上自衛隊は世界第二位の力があるようですが、健康保険制度やその他のさまざまな点を比較しても、日本はベストな国々の中でもトップに近いということです。日本はモデルとなる社会なのです。」

 ところが、こう続けるのです。

 「世界において日本はどこにいるのか。どこにもいない。どこにも。私たちは日本を必要としています。なぜなら、日本は世界でリーダーシップを発揮すべき多くのよさを代表しているからです。」

 しかし、こう言います。

 「日本が豊かで成功した国であるにもかかわらず、実際には世界から身を隠し、どこか洞窟の中にいるということに対して、政府が責任を取るように仕向ければいいではないか。そうしたイニシアティブは、市民のさらなる関与と、日本が世界においてリーダーシップの役割を果たすことの両者を共に強化するのだと思います。」


●ポストモダンの価値相対主義に疑問を投げ掛けたベラー


 すなわち、日本の世界に対する貢献が待たれている、とベラーは言っているのです。もっと言ってしまえば、彼は世界を「日本化」すればいいと考えていたわけです。しかし、そのことを日本は引き受けようとはしません。それを非常に残念がりました。

 そして、一体どうしてこうなっているのかについて、ベラーはどう考えたのでしょうか。彼は丸山の盟友であったこともあり、一種のモダニスト(近代主義者)として「近代というものを諦めてはいけない」と考えたのです。

 われわれは、近代の後にポストモダンの時代を生きました。それは、ある種の「相対主義」をもたらしました。「何でもありなのではないか」という価値相対主義です。啓蒙思想や人権、民主主義など、近代が掲げたいろいろな理想が、徹底的に疑われるようになりました。そういうことを経験したわれわれに対して、ベラーは「そうではないのではないか」と、疑問を投げ掛けたのです。


●倫理的プロジェクトとしての近代をもう一度受け入れる努力を


 近代には、確かに光と影が存在します。とりわけ影は深いのです。

 冒頭で、今年は第一次世界大戦から100年後だと申し上げましたが、近代とは戦争や植民地という形で「他者の支配」をもたらした時代でもありました。また、資本主義に関しても、影や闇の部分は非常に深いものがあります。

 ですから、「近代を丸ごと否定したい」といった気持ちも、もちろん分からないではありません。しかし、ベラーは、「それでも近代は、やはり人々を解放した光の面もあったのではないか。倫理的プロジェクトとしての近代を、もう一度受け入れていく努力をした方がいいのではないか」と言うのです。

 なぜならば、彼にとって日本や世界のファシズムとは、丸山が分析したように、実は相対主義に陥り、特殊主義に陥った結果であったからです。すなわち、「普遍を諦めた」結果であったのですが、そこにもう一度戻ることはいけないと、彼は言ったわけです。


●グローバル市民社会と、それを支える「経済」の可能性


 今日のグローバルな時代において、ベラーが指摘した日本の問題と「倫理的な近代を諦めない」という主張を引き受けるとすれば、どのような仕方があるのか。どうすれば、このグローバルな社会、とりわけグローバルな市民社会に対する貢献ができるのか。これを私たちは考える必要があるかと思います。

 そのときに、経済は非常に重要なファクターになるでしょう。このことはベラー自身が繰り返し強調しています。

 「近代を支えているのは三つの領域である。それは、まず経済、次に公共圏(パブリック・スフィア)、それから主権を有した人民である。この三つ...
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