●家柄と教養の関係
執行 そのこと(エリート層の教育の必要性)が、もうそろそろわかる時代に入ってもいいと思うのに、全然その感じがないですね。
―― 感じないですか。
執行 40年ぐらい前は私も随分期待を持っていましたが、もう今は期待していません。滅びた後の準備を今急いでやっています。
―― でも40年前には期待を持っていた。
執行 もちろん持っていました。20年ぐらい前までは持っていました。
―― まだ2000年に入ったあたりは。
執行 2000年を越えてからです、だんだんなくなったのは。
―― 平成の後半ぐらいに入ってからですね。
執行 もう今は全然ない。とにかく滅んだあとにどういうふうに魂を温存するか、そこで忙しく活動しています。
―― その頃にはもう士大夫階級は、ほぼいないのですね。
執行 いないでしょうね。
―― 読書人が。三島由紀夫みたいに、高校生の先生と真剣に議論してやろうという人は、もういなくなったわけですね。
執行 一人もいないでしょう。
―― 村松剛もそうでしたね。
執行 村松さんにも、だいぶかわいがってもらいました。みんな家がいいですから。
―― そうですね。
執行 村松剛も名門で、江戸時代からすごくいい家です。
―― 江戸時代からですか。
執行 ずっと医者の家です。お父さんは精神医学者で、(妹の)村松英子さんとも親しくなりました。素晴らしい教養人です。全然違う。三島は当然として。
あの頃の古い文学者は、嫌な言い方ですが、家の悪い人なんていません。芥川龍之介ぐらいまで昔の文豪で家柄が悪い人なんて、私が知っている範囲で一人もいないと思います。
―― 太宰(治)もいいですしね。
執行 だからみんないい。誰見たって。本人が歪んでいるかどうかは別として、家柄はいい。教養のある、いい家です。
―― 石原慎太郎もそうですね。
執行 みんなそうです。三島(由紀夫)ぐらいまで。真の教養は、そうでなければつかないということです。
―― おっしゃるとおりです。
執行 それが『源氏物語』でも議論しています。「勉強も必要」と光源氏が言うけれど、お母さんは断固として反対している。「そうじゃない。結婚、家柄で決まる」と。だから、当時から人気を取ろうとすると、必ず「いや、そうじゃない。いい人もたまには例外で出る」と光源氏がしゃべっているのです。光源氏...