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『歴史学はこう考える』で学ぶ、歴史家が築いてきた方法論
「歴史学」(=歴史を研究の対象とする学問)の専門家である歴史家は、具体的にどうやって歴史を研究しているのでしょうか。また、歴史家は、歴史をひも解くための重要な「史料」をどのように読んでいるのでしょうか。そこで今回注目する書籍が、その歴史家かつ慶應義塾大学経済学部教授での松沢裕作氏による『歴史学はこう考える』(ちくま新書)です。今、非常に話題を集めています。
さて本書の第二章では、具体例として著者自身の論文「逓信省における女性の雇員と判任官」を史料(=出来事や状態を説明する何らかの根拠となる情報源)として解題し、史料の読み込み方、史料の引用の仕方、さらに引用からオリジナルの論点への提示への展開と広げ、どのように論文として組み立てていくのかといった、歴史家が「何をしているのか」を詳説しています。
例えば、上記論文中では勤続年数に関する逓信省当局の見解を示す新聞記事を使って、以下のように〔1〕前置き、〔2〕史料引用(新聞記事の内容紹介)、〔3〕現代語による史料内容の報告(敷衍)、の3パートの構成で史料批判をおこなっています。
〔1〕このような短期勤続は、熟練形成上、雇用側にとって望ましいものではなかった。下村宏郵便貯金局長は、新聞に次のような談話を残している。
〔2〕男子よりは給料が安いので、安い割合には役に立つ、唯十七八から二十一二歳まで勤めて漸く熟練の域に入らうとすると、結婚や其の他の事情で辞職する者が多いには困る、女の事務員も嫁入支度や、一時の方便でなくて、一生涯の仕事として勤める覚悟がありさへすれば、今後益男の領分内に食込む事が出来やうと云つた(52)
〔3〕男性に比して、給与が低いことはあからさまに語られている。そして、ここでは「結婚」が勤続年数が短い理由として言及されている。
〔1〕の「このような短期勤続は、熟練形成上、雇用側にとって望ましいものではなかった」は、〔2〕で引用した史料から読み取れることの先取りです。いきなり史料引用を持ってくるとつながりが悪くなるため、史料で何を読み取ったかを先取りして提示しています。また、「このような」の内容は、それ以前の箇所で数値的に示した勤続年数のことを指しています。そして、「下村宏郵便貯金局長は」以降では、それが女性を雇う側の逓信省にとってどう受け止められていたかを述べようとしています。
〔1〕~〔3〕の史料批判から松沢氏は、(1)「女性の勤続年数が短いことを下村局長は望ましいとは思っていない」、(2)「女性の給与は男性に比して安い」、(3)「下村局長は女性の離職は結婚によると考えている」の3点が新聞記事に載っていることを読み取っています。(1)は〔1〕で先取り的に述べ、(2)は〔3〕中で「男性に比して、給与が低いことはあからさまに語られている」と表現され、(3)は〔3〕中で「ここでは「結婚」が勤続年数が短い理由として言及されている」という文章の「ここでは」、つまり「この新聞記事では」という限定をかけ、そのような理由が「言及されてる」という形で留保をつけています。
松沢氏は、全体として「(本当かどうかわかりませんけれども)とりあえず最低限下村宏はこう言っているのです」ということを〔3〕で述べています。つまり、この一連の引用と敷衍で松沢氏が行っていることは、「新聞記事にこう書いてあります」から、「下村宏はこう言いました」を導いています。
以上のように、史料批判という作業は、「書いてあること」→「それが実際にあったことと合致しているか」という二段階で行われるわけではなく、あらゆる史料で「ここにこう書いてある」ことを確認しながら、「ここにこう書いてあるということから、どこまでのことがいえるのか」を考え、さらに「史料にこう書いてあることは何を意味するか」という別の問いにつなげていく作業でもあるのです。
同様に、第三章から、政治史では高橋秀直氏の「征韓論政変の政治過程」、経済史では石井寛治氏の「座繰製糸業の発展過程」、社会史では鶴巻孝雄氏の「民衆運動の社会的願望」を取り上げています。
ということで本書は、歴史学論文における歴史家の引用方法と敷衍の仕方を具体的かつ丁寧に読み込み解説しているため、初学者でも歴史家の方法論を実感できる優れた入門書となっています。
しかし、『歴史学はこう考える』で詳説されている歴史家の方法論を日常にも取り入れることによって、歴史家がいわゆる「史料批判」を行うように、歴史的現在を生きる全ての人が、安易な議論に振り回されて危険で無責任な発信者とならずに、根拠と過程の理解から対話的で未来志向の「過去の振り返り」を行うための方法論を学ぶことができるのです。
本書を読むことによって、歴史家の方法論(=歴史学者が歴史の論文を書く際の作業プロセス)を学べ、歴史の解像度が上がります。誰もが歴史の発信者となれる現在、『歴史学はこう考える』は歴史学の新しい入門書にして必読書ともいえる「役に立つ」一冊です。ぜひ手に取ってみてください。
歴史家による歴史学の解題
はじめに本書『歴史学はこう考える』についてですが、松沢氏の専門である日本近代史の政治史・経済史・社会史の定評のある論文を素材に、(1)歴史学者たちの実際のプロセスを一般的な歴史学の論文を具体例として挙げながら、(2)歴史家である著者が歴史学の方法論をつまびらかにし、(3)歴史について語る前に最低限知っておきたい考え方を学べる一冊となっています。さて本書の第二章では、具体例として著者自身の論文「逓信省における女性の雇員と判任官」を史料(=出来事や状態を説明する何らかの根拠となる情報源)として解題し、史料の読み込み方、史料の引用の仕方、さらに引用からオリジナルの論点への提示への展開と広げ、どのように論文として組み立てていくのかといった、歴史家が「何をしているのか」を詳説しています。
例えば、上記論文中では勤続年数に関する逓信省当局の見解を示す新聞記事を使って、以下のように〔1〕前置き、〔2〕史料引用(新聞記事の内容紹介)、〔3〕現代語による史料内容の報告(敷衍)、の3パートの構成で史料批判をおこなっています。
〔1〕このような短期勤続は、熟練形成上、雇用側にとって望ましいものではなかった。下村宏郵便貯金局長は、新聞に次のような談話を残している。
〔2〕男子よりは給料が安いので、安い割合には役に立つ、唯十七八から二十一二歳まで勤めて漸く熟練の域に入らうとすると、結婚や其の他の事情で辞職する者が多いには困る、女の事務員も嫁入支度や、一時の方便でなくて、一生涯の仕事として勤める覚悟がありさへすれば、今後益男の領分内に食込む事が出来やうと云つた(52)
〔3〕男性に比して、給与が低いことはあからさまに語られている。そして、ここでは「結婚」が勤続年数が短い理由として言及されている。
〔1〕の「このような短期勤続は、熟練形成上、雇用側にとって望ましいものではなかった」は、〔2〕で引用した史料から読み取れることの先取りです。いきなり史料引用を持ってくるとつながりが悪くなるため、史料で何を読み取ったかを先取りして提示しています。また、「このような」の内容は、それ以前の箇所で数値的に示した勤続年数のことを指しています。そして、「下村宏郵便貯金局長は」以降では、それが女性を雇う側の逓信省にとってどう受け止められていたかを述べようとしています。
〔1〕~〔3〕の史料批判から松沢氏は、(1)「女性の勤続年数が短いことを下村局長は望ましいとは思っていない」、(2)「女性の給与は男性に比して安い」、(3)「下村局長は女性の離職は結婚によると考えている」の3点が新聞記事に載っていることを読み取っています。(1)は〔1〕で先取り的に述べ、(2)は〔3〕中で「男性に比して、給与が低いことはあからさまに語られている」と表現され、(3)は〔3〕中で「ここでは「結婚」が勤続年数が短い理由として言及されている」という文章の「ここでは」、つまり「この新聞記事では」という限定をかけ、そのような理由が「言及されてる」という形で留保をつけています。
松沢氏は、全体として「(本当かどうかわかりませんけれども)とりあえず最低限下村宏はこう言っているのです」ということを〔3〕で述べています。つまり、この一連の引用と敷衍で松沢氏が行っていることは、「新聞記事にこう書いてあります」から、「下村宏はこう言いました」を導いています。
以上のように、史料批判という作業は、「書いてあること」→「それが実際にあったことと合致しているか」という二段階で行われるわけではなく、あらゆる史料で「ここにこう書いてある」ことを確認しながら、「ここにこう書いてあるということから、どこまでのことがいえるのか」を考え、さらに「史料にこう書いてあることは何を意味するか」という別の問いにつなげていく作業でもあるのです。
同様に、第三章から、政治史では高橋秀直氏の「征韓論政変の政治過程」、経済史では石井寛治氏の「座繰製糸業の発展過程」、社会史では鶴巻孝雄氏の「民衆運動の社会的願望」を取り上げています。
ということで本書は、歴史学論文における歴史家の引用方法と敷衍の仕方を具体的かつ丁寧に読み込み解説しているため、初学者でも歴史家の方法論を実感できる優れた入門書となっています。
問題提起の書かつ、歴史学の新しい必読書
また本書は、歴史学を専門としない読者を念頭に書かれた歴史学方法論の概説書であると同時に、現在の人文・社会科学の状況に対する問題提起の書でもあります。松沢氏は、歴史学がある立場の正当化に「役に立って」、際限のない論争を引き起こしてしまうことを危惧しています。しかし、『歴史学はこう考える』で詳説されている歴史家の方法論を日常にも取り入れることによって、歴史家がいわゆる「史料批判」を行うように、歴史的現在を生きる全ての人が、安易な議論に振り回されて危険で無責任な発信者とならずに、根拠と過程の理解から対話的で未来志向の「過去の振り返り」を行うための方法論を学ぶことができるのです。
本書を読むことによって、歴史家の方法論(=歴史学者が歴史の論文を書く際の作業プロセス)を学べ、歴史の解像度が上がります。誰もが歴史の発信者となれる現在、『歴史学はこう考える』は歴史学の新しい入門書にして必読書ともいえる「役に立つ」一冊です。ぜひ手に取ってみてください。
<参考文献>
『歴史学はこう考える』(松沢裕作著、ちくま新書)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480076403/
<参考サイト>
松沢裕作氏のX(旧Twitter)
https://x.com/yusaku_matsu
『歴史学はこう考える』(松沢裕作著、ちくま新書)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480076403/
<参考サイト>
松沢裕作氏のX(旧Twitter)
https://x.com/yusaku_matsu
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