社会人向け教養サービス 『テンミニッツ・アカデミー』 が、巷の様々な豆知識や真実を無料でお届けしているコラムコーナーです。
DATE/ 2017.03.09

東大教授が解説する人工知能「東ロボくん」が東大合格を諦めたワケ

 2016年11月、東大合格を目標に、国立情報学研究所の新井紀子教授がプロジェクトディレクターとなって2011年から進めてきた国産人工知能「東ロボくん」の進路変更は、ちょっとしたニュースになりました。総合偏差値57.1をマークし、相当上位の大学に合格する実力に到達していた東ロボくんですが、それでもこのままでは東大受験突破は無理と判断、プロジェクトは凍結されることになったのです。その理由は、どうも「言語の理解」という壁にありそう。そこには人間と人工知能の認識や処理の違いがありました。

偏差値57.1の東ロボくんの泣きどころは?

 東ロボくんの例をもとに、人工知能には言語を理解することが難しいと解説しているのは、新井教授の研究仲間でもある東京大学大学院経済学研究科・経済学部教授の柳川範之氏です。

 東ロボくんの試験成績を見ると、得意なのは世界史と数学、苦手なのは英語・国語と物理なのです。人工知能がビッグデータを得意とするのはもう常識ですから、得意分野はうなずけますが、苦手の中で「物理」に首をかしげる人が多いのではないでしょうか。

 実は物理の試験で人工知能にとって壁になったのは、イラスト(図解)を理解することでした。イラストには、人間が思っているより多様な描き手のくせや個性が含まれています。一つの「型」を捉えるのに、微妙な差があることを踏まえてどこまで同じ「型」として読み取るかが課題となるのですが、もしかすると、これもある意味では「言語の理解」カテゴリーに入ってくるのかもしれません。

人工知能には背景知識が不足している

 では、なぜ人工知能はこの分野が苦手なのでしょうか。「Google翻訳」の進化などを見ても、単純な翻訳技術の精度自体は相当上がっています。

 しかしながら、一つひとつの単語の意味を知ることは得意でも、人工知能には背景知識を適切に持ってくることがまだ難しいのです。背景知識には歴史的な経緯もありますが、対話している二人の人間性、あるいはそのコミュニティの雰囲気など、さまざまなものがランダムに反映されて、その場での意味合いが変わってくるからです。

 よく言われるのは、人工知能には小学生程度の常識もなく、会話のテーマも理解できないということです。たとえ簡単な英語でも、背景知識がなければちんぷんかんぷんだということでしょう。

「文字どおりの翻訳」と「正しく伝える」のあいだ

 人間にしかできない「言語の理解」とは何かを知るための例として柳川氏は、ワールドカップの歴代監督の通訳経験者らによる座談会を紹介しています。そこで話されていたのは、「文字通りに翻訳する」ことと「監督の言葉を正しく伝える」ことの違い。「文字通り」の正確さを得意とするのが人工知能ですが、人間は場合はそうではないということです。

 例えば、話し言葉でよく用いられる「ことわざ」は、土地によってさまざまな動物が出てきます。監督が、自分の国のことわざで「ライオン」を例に話を進めると、日本人は何となく「百獣の王」を連想して「ものすごく勇敢にやる」ことだと理解してしまう。でも、実際にはそんなニュアンスはまったく含まれていなかったりします。

 そんなときに言葉をその国の表現に合わせて言い換えるのが、正しい言語の解釈に基づく通訳のスキル。これは人工知能には真似のできないことだろうと感じます。

2020年を機に「AIおもてなし」は花開くか

 そしてこれを抜きにしては成り立たないのが、人間同士のコミュニケーションです。日本の大多数の人間にとって、人工知能に打ち勝つ「生き残り戦略」は、幅広いコミュニケーション能力を活かすことだろうと柳川氏は言います。

 ただし、コミュニケーション能力とは、単に他人と仲良くする能力ではない、と釘も刺されています。例えばリーダーシップや高度な人対人の交渉能力、交流能力などの高度なコミュニケーション能力を従業員にいかに身に付けさせるかが、ビジネスにおける経営戦略では今後、大きなポイントになっていくはずです。

 2020年の東京オリンピックを目標に、「おもてなし」が注目ワードとなっています。接客に携わる人々が持つ長年の経験の蓄積が物を言うのは間違いありませんが、日本は今後、人工知能を活用してその経験をシステム化できるかがが問われています。その際の決め手となるのも、きっと「言語の理解」なのでしょうね。
~最後までコラムを読んでくれた方へ~
「学ぶことが楽しい」方には 『テンミニッツTV』 がオススメです。
明日すぐには使えないかもしれないけど、10年後も役に立つ“大人の教養”を 5,600本以上。 『テンミニッツ・アカデミー』 で人気の教養講義をご紹介します。
1

日本でも中国でもない…ラストベルトをつくった張本人は?

日本でも中国でもない…ラストベルトをつくった張本人は?

内側から見たアメリカと日本(1)ラストベルトをつくったのは誰か

アメリカは一体どうなってしまったのか。今後どうなるのか。重要な同盟国として緊密な関係を結んできた日本にとって、避けては通れない問題である。このシリーズ講義では、ほぼ1世紀にわたるアメリカ近現代史の中で大きな結節点...
収録日:2025/09/02
追加日:2025/11/10
2

知ってるつもり、過大評価…バイアス解決の鍵は「謙虚さ」

知ってるつもり、過大評価…バイアス解決の鍵は「謙虚さ」

何回説明しても伝わらない問題と認知科学(3)認知バイアスとの正しい向き合い方

人間がこの世界を生きていく上で、バイアスは避けられない。しかし、そこに居直って自分を過大評価してしまうと、それは傲慢になる。よって、どんな仕事においてももっとも大切なことは「謙虚さ」だと言う今井氏。ただそれは、...
収録日:2025/05/12
追加日:2025/11/16
今井むつみ
一般社団法人今井むつみ教育研究所代表理事 慶應義塾大学名誉教授
3

「宇宙の階層構造」誕生の謎に迫るのが宇宙物理学のテーマ

「宇宙の階層構造」誕生の謎に迫るのが宇宙物理学のテーマ

「宇宙の創生」の仕組みと宇宙物理学の歴史(1)宇宙の階層構造

宇宙とは何かを考えるうえで中国の古典である『荘子』・『淮南子(えなんじ)』に由来する「宇宙」という言葉が意味から考えてみたい。続いて、地球から始まり、太陽系、天の川銀河(銀河系)、局所銀河群、超銀河団、そして大...
収録日:2020/08/25
追加日:2020/12/13
岡朋治
慶應義塾大学理工学部物理学科教授
4

日本は素晴らしい歴史史料の宝庫…よい史料の見つけ方とは

日本は素晴らしい歴史史料の宝庫…よい史料の見つけ方とは

歴史の探り方、活かし方(1)歴史小説と史料探索の基本

「歴史を探索していく」とは、どういうことなのだろうか。また、「歴史を活かしていく」とはどういうことなのだろうか。歴史作家の中村彰彦氏に、歴史を探り、活かしていく方法論を、具体的に教えてもらう本講義。第一話は、歴...
収録日:2025/04/26
追加日:2025/11/14
5

なぜ空海が現代社会に重要か――新しい社会の創造のために

なぜ空海が現代社会に重要か――新しい社会の創造のために

エネルギーと医学から考える空海が拓く未来(1)サイバー・フィジカル融合と心身一如

現代社会にとって空海の思想がいかに重要か。AIが仕事の仕組みを変え、超高齢社会が医療の仕組みを変え、高度化する情報・通信ネットワークが生活の仕組みを変えたが、それらによって急激な変化を遂げた現代社会に将来不安が増...
収録日:2025/03/03
追加日:2025/11/12