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モハメド・アリはイスラム教に改宗し黒人の利益を高めた

「イスラムとアメリカ」再考~米国内のイスラム教徒(5)モハメド・アリの死

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
モハメド・アリ
『「イスラムとアメリカ」再考』の連続講話を収録している最中、アメリカから1本の訃報が届いた。元世界ヘビー級ボクシングチャンピオン、モハメド・アリ、享年74歳。1974年、奇跡のカムバックを遂げ世界を沸かせたアリのことを、「当時の日本の若者にとって、最も著名なアメリカ人として名前が知られていた人物だった」と振り返る歴史学者・山内昌之氏。「イスラムとアメリカ」の文脈の中で、彼の生涯とその死が意味するものを語っていただく。(全8話中第5話)
時間:08:12
収録日:2016/06/09
追加日:2016/07/25
カテゴリー:
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≪全文≫

●モハメド・アリの74年の生涯を振り返る


 皆さん、こんにちは。先日来、アメリカとイスラム、あるいはアメリカにおけるイスラムについてお話をする機会がありました。その最中である6月4日に、元世界ヘビー級ボクシングチャンピオンであったモハメド・アリ(旧名カシアス・クレイ)が亡くなったという報が入りました。

 カシアス・クレイは、その74年にわたる生涯の晩年まで、イスラム教に改宗してムスリムとして生活する一方、多方面に活躍を繰り広げたことで知られています。晩年と言ったのは、活躍が晩年にわたってもという意味で、彼が若い時期から黒人イスラム(ブラック・ムスリム)の一員として活躍していたのは周知の通りです。

 彼はヘビー級のボクサーとして著名であったのみならず、その存在そのものが黒人への差別や人種主義に対する戦いの象徴であり、さらに黒人の公民権活動やアメリカ合衆国の文化的多様性を獲得し、これらを黒人の利益として高めていくために、多大な貢献をした人物だったのです。


●黒人ムスリムの誇りを持ってベトナム徴兵を拒否


 生まれは南部のケンタッキー州ルイビルでしたが、その後の成長過程で、彼はエライジャ・ムハンマドやマルコムXに出会います。この二人の指導者との出会いによって、アリは「ネイション・オブ・イスラム」と呼ばれる組織に参加します。これは「イスラムの民」と訳すべきアメリカの黒人ムスリムの社会運動でしたが、やがては黒人解放運動の一員として成長したことも、よく知られています。

 彼の発言の中で一番有名なのは、当時進行していたベトナム戦争への発言です。

「自分は、ベトコンとは少しもいさかいを起こしていない。何も彼らと争うことはない。しかも、どんなベトコンであっても、自分のことを、一度も“ニガー”とは呼ばなかった」

 “ニガー”は大変強い差別用語で、現在は使ってはならない言葉です。当時のアメリカで一部の白人によって使われていたこの言葉を、ベトコンは一度も使ったことがないではないか、と彼は言うのです。「なぜ、俺が彼らと戦わなければいけないんだ」という理屈から、彼はベトナム戦争への従軍・徴兵を拒否したことも、非常によく知られています。

 さらに、彼には天性の詩人としての才能、ひらめきによって文章を高からしめていく才能があったようです。ボクサーとして「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という世界史に残る名言を残したのも、彼が詩人であったればこそでした。


●ムスリムとして、黒人としてどう生きるかを教えた勇気


 そんな彼は、徴兵忌避によってボクシングのタイトルを剥奪され、当時のお金で数百万ドルという大変な高収入を投げ捨てることになリます。そればかりか、3年以上にわたってリングに上がって戦う機会を奪われることにもなりました。

 このように、既得権益や、自らが獲得した特権的な名声、スター性をもかなぐり捨てる勇気を持った彼が、一方では抵抗運動の「旗頭=リーダー」であったことは間違いないのです。

 1974年に行われたザイール(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサで、彼は当時「無敵のチャンピオン」と呼ばれていたジョージ・フォアマンと戦い、勝ちを収めます。これはまことに奇跡的なカムバックとして、世界を沸かせたことはよく知られていることです。その時代の日本の若者にとって、カシアス・クレイことモハメド・アリは、最も著名なアメリカ人として名前が知られていた人物でした。

 彼は、イスラム教徒(ムスリム)としての宗教的なプライド、そして黒人というマイノリティが合衆国においていかに生きるかという意味でのプライドを高く掲げることを人々に知らせ、黒人社会に勇気を与えた人物の一人でした。


●「イスラムとアメリカ」を語る最も有名な人物の死を悼む


 このように、モハメド・アリ(旧名カシアス・クレイ)は、アメリカのムスリムやイスラム史の生んだ最も著名な人物であり、これ以上の名声を得た人はほとんどいません。モハメド・アリの名は知っていても、エライジャ・ムハンマドやマルコムXの名を知っている日本人は少ないのが現状ではないかと思います。

 モハメド・アリは、その反人種主義に対するコミットメント(戦い)を通してイスラム教徒に改宗し、成長していきました。すなわち彼こそは、イスラムとアメリカを語る上で、欠かすことのできない人物なのです。

 今この時間の中で、イスラムとアメリカや、アメリカの中のイスラムについての連続講話の中でモハメド・アリの死と、そのことが持つ意味についてお話しした次第です。この大変大きな先駆者の死に対して、私たちもまた心から追悼の言葉を述べたいと思います。

 ひとまず今日は、これで失礼いたします。
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