●日本がドイツと異なり間接占領となった3つの背景
今度は、日本の経験を述べましょう。日本は敗戦後、ドイツとは違って占領軍による直接占領でなく、日本政府が存在したまま連合軍総司令部による間接占領の形を取ることができました。これは大変な幸運だといえます。なぜかというと、これによって日本は統治構造や行政機構の継続性をある程度維持できたからです。
日本の場合、こうした間接占領が可能だったことにはいくつかの背景があります。3つほど指摘したいと思いますが、1つ目は次のことになります。アメリカ当局はポツダム宣言を発して日本に降伏を勧めました。ポツダム宣言の起草から推進については、ハリー・S・トルーマン大統領の指揮下で行われたのですが、とりわけ大変な知日家であったヘンリー・スティムソン陸軍長官と知日家かつ親日派であったジョセフ・グルー元駐日大使がその任に就きました。特にフランクリン・ルーズベルト大統領が急死したため、グルー大使が国務省次官の地位に就いたのですが、この2つの出来事によって強力にポツダム宣言の起草と推進をしたことが大変大きいと思います。
2つ目は、ポツダム宣言の受諾についてです。軍部の強い反対があったのですが、最終的に天皇陛下の御意と鈴木貫太郎総理大臣の一命を賭けた決断が受諾を可能にしました。これを受諾しなければどうなっていたかというと、アメリカ軍にはオリンピック作戦と呼ばれる南九州上陸作戦、またコロネット作戦という関東平野侵攻作戦があり、これらによって日本列島全島を破壊・占領する計画だったのです。これがもし実行されていたら、ドイツ以上の厳しい戦後になるおそれがありました。それを天皇陛下の御意が防いだといえます。
3番目は、連合軍総司令官として対日占領を現場で統括していたダグラス・マッカーサー元帥(将軍)と、その腹心にボナー・フェラーズという准将がいたことです。この准将は、若い頃から日本軍の研究をしており、「占領政策を成功させるためには天皇を利用すべきだ」と助言し続けたのです。マッカーサー将軍がこれを真摯に受け止めて、連合軍の極東委員会の意向に反しても天皇制を維持するために画策しました。それが今日の日本国憲法第9条の規定の根底にあるといわれますが、天皇制がマッカーサー総司令官の強い意志で維持されたことなども大きな背景だと思います。