●エラーを定義することはできない
この点をヒューマンエラーということに広げて考えると、2の「いい仕事をしていく」ことにつながってきます。エラーについて考えていくと、安全と同じように、エラーを定義することはできません。例えば、ルールを破ったことがエラーだとすれば、間違ったルールを正す行為もエラーになってしまうでしょう。
あるいは、意図的にではなく間違うことがエラーだとする見方もありますが、これも意見が分かれます。例えば、人を殺したという場合にも、殺人と過失致死があります。過失は意図がないもので、殺人は意図があるものです。過失致死は意図がないのだからエラーだとすれば、それでも人を殺していることに変わりはないと、違和感を持つ人が出てきます。
他方で、殺人のように意図があったものをエラーだとすることに、違和感を持つ人もいるでしょう。というのも、殺人というのはそもそもの意図が間違っているからです。意図を生み出すのは、判断です。もともとの判断にミスがあった場合、これは意図が間違っていたということです。だとすれば、殺人をエラーだと捉えることは難しくなります。
実際の現場でも、事故が起こっているからエラーだと決めているのがほとんどであって、事故がないとエラーだと決めることは難しくなるでしょう。エラーという言葉を使うのは簡単ですが、エラーを分析して、その対策を打つということは非常に難しいのです。
最近のはやりですから、すぐにエラーやミス、人為的過誤といった言葉が使われます。しかし、個別の行為をエラーだと見て、それを防ぐことはできますが、一般的にエラーを防ぐということは、エラーの定義ができない以上、実は難しいのです。
●目的はエラーを減らすことではなく、仕事の質を上げることだ
それでは、どのように考えていけばいいのでしょうか。重要なことは、エラーか、エラーではないかということではありません。むしろ、その行動や仕事を評価していくということが必要なのです。
単純にミスやエラーを減らしたいだけであれば、何もしないことが一番です。打席に立たなければ三振はしません。仕事をしなければミスは起こりません。手術をしなければ手術ミスは起こりません。運転しなければ運転ミスは起こりません。当たり前のことです。しかし、こうした「正解」を、ほとんどの人たちは聞きたいわけではありません。これも当たり前のことです。エラーを減らしたい人たちは、エラーだけを減らしたいわけではないからです。
では、何が重要なのかといえば、良い仕事をするということです。仕事をするときには、良い仕事をしようと考えているはずなのに、エラーの分析のときには、それを言わない。事故だけを取り上げて、「こんなミスがありましたが、どうしましょう」となってしまいます。だからチェックリストのような、目先の、取って付けたような対策ばかり出てくるのです。
しかし、本来は仕事の観点で考えなければなりません。目的はエラーを減らすことではなく、仕事の質を上げるということなのです。人間の行動や作業の質を上げれば、エラーは自然と減っていきます。このように考えるべきなのに、目先のことだけを見るものだから、絆創膏を貼って済ませてしまうのです。絆創膏を貼れば、出血は止まるかもしれませんが、それは対処療法でしかありません。どんな動きをすれば当たらなかったのか、どうしておけば良かったのかと、行動や作業を改善するところから始めないと、またどこかをぶつけて、血を流すことになるでしょう。
●作業者に95点という認識を持たせることが重要だ
つまり、エラーに対処する際には、自分たちのやっている仕事を見ていって、良い仕事とは何か、どうすればそうなるのかを考えていくことがポイントになってきます。ただし、エラーをしなければ良い仕事だとは限りません。
というのも、チェックリストやマニュアルに沿ってなされる仕事は、せいぜい90点から95点くらいにしかならないからです。マニュアルは、状況に応じてどんどん修正されていきます。完璧なマニュアルを持っている会社なんてありません。マニュアルが完璧ではないのですから、マニュアル通りにやっても完璧にはならないわけです。作業者がマニュアル通りにやっても、100点にはなりません。そこで重要なことは、自分たちは100点の仕事をしているのではないと認識し、その仕事を評価してもらうことです。
また、どんな仕事もせいぜい95点だからこそ、エラーが起こってしまいます。人はエラーをするものだとよくいいますが、エラーをするのが人間だというのではなく、もともと、さまざまな手順を含めて100点の状況で仕事をしていないからです。ところが、自分の仕事は100点だと勘違いする人がいると、ほころびが出てきてしま...