●ハドリアヌスの神格化をめぐる議論
アントニヌス・ピウスの「ピウス」ですが、「敬虔な」と意味する言葉で、後に付けられたものです。その理由についてお話しします。
(前の皇帝である)ハドリアヌスは晩年にも、ちょっとした事件の中で元老院貴族を処刑に追いやるということがありました。治世の初期と晩年の時期に、元老院貴族にそのようなことがあったため、貴族たちからはずっと反感の目で見られていました。
皇帝は亡くなると神格化されます。神々の1人になっていくわけです。ただし、カリグラやネロ、ドミティアヌスはもちろん神格化されませんでした。そうした中、元老院貴族を何人か処刑しているということで、ハドリアヌスも暴君同様と考えられていたのかもしれません。ハドリアヌスの神格化は周囲の人々が反対したため、実現しそうにありませんでした。
一方、それよりも以前に、すでにアントニヌスは後継者として任命されていました。そこで、ハドリアヌスが神格化されない動きが出てきた時、彼はそれに対して猛然と反論。「ハドリアヌス皇帝陛下の意志によって私は後継者に任命されました。そのハドリアヌス陛下を神格化しないということは、私を後継者として認めないのと同じことです」と言ったのです。つまり、もしハドリアヌスの神格化が実現されないならば、私は皇帝の位から降りるという意思を示して、彼はその実現に努めたということです。
●五賢帝の中で最も優れたアントニヌス
アントニヌスは、おそらく私の見通しでは五賢帝の中でも一番優れていたのではないかと思うほどの皇帝です。23年ほどの「アントニヌスの治世には歴史が無い」といわれています。「歴史が無い」とは、つまり何も起こらなかったということです。何も起こらなかったということは、本当は一番いいはずです。平穏に終わっていたということですから。もちろん小さな戦争のようなものはありましたが、大きな戦争は無ければ、特に反乱もありませんでした。
また、アントニヌスは人格的に非常に優れた人物で、物事を決めるときには元老院議員のいわば顧問団のようなものを作って、その中で話し合いを行いました。しかも、彼は周りの人たちの話もよく聞くし、さらに冗談がうまかったので、話し合いは非常に和やかな雰囲気の中で行われ、物事を決めていったのです。
戦争も起こらなければ反乱も起きないということで平穏な状態が続きますから、「アントニヌスの治世には歴史が無い」と言われるほどでした。でも、もしかしたら、その人格、周りからの人望、そうしたことも合わせると、彼こそ最も優れた、典型的な五賢帝といっていいのではないでしょうか。
●「ピウス」と付けらえるほど高潔な人格
ただ、歴史として描こうとした場合、何しろ「歴史が無い・何の事件も無い」と言われるぐらいですから、彼の人間像をどのように描くかが問題となります。彼自身が何かをやっていたわけでもありません。後に、次の皇帝であるマルクス・アウレリウスが「自省録」に自分の養父つまりアントニヌスのことを書いていますが、それを読むと、アントニヌスからさまざまな素晴らしいことを学んだという話がありました。
先ほど、アントニヌスが「ハドリアヌスが神格化されないなら自分は皇帝位を降りる」と言って自分の養父を弁護したと言いましたが、そのことが広く認められ、彼は非常に高潔な人間だということで、後に「ピウス」という称号をもらうことになりました。
ですからアントニヌス・ピウスは、就任した時にはアントニヌスだったのですが、その後「ピウス(敬虔なる)」という称号が付いたことで、今日、私たちは「アントニヌス・ピウス」と呼んでいるのです。それくらい非常に高潔な人物でした。
●アントニヌスはリーダーの在り方として見直されるべき皇帝
それから先ほど言いましたように、もめ事が無い、争いが無い、反乱が無い、戦争が無いといったことは、アントニウスという皇帝が持っていた人格の素晴らしさ、また周囲を和ませながら進めるという、彼の個人的な資質のなせるところではないかと思います。
そうすると、本当に歴史が無いから何とも言いようがないのですが、本来平穏に過ごせることが一番いいわけですから、治世の間、政治的にほとんど特筆すべきものが起こらないことは素晴らしいことです。また、彼が亡くなった時に国庫に残ったお金は、それまでのローマの中で最大規模のものであった、最高額になっていたといわれるほどでした。
アントニヌス・ピウスは、ハドリアヌスほど派手な建築事業を行いませんでした。また、ハドリアヌスは属州を渡り歩き、それが財政的に相当ローマ帝国を圧迫しているところもあったのではないかと思うのですが、彼はハドリアヌスとは違って、ほとんど属州に出かけて行くこ...