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松下幸之助の人生で最も重要な敗戦からの5年間

逆境の克服とリーダーの胆力(4)松下幸之助の怒り

神藏孝之
公益財団法人松下幸之助記念志財団 理事
情報・テキスト
松下幸之助
画像提供:公益財団法人松下政経塾
「君らは辛酸をなめていない、猫に小判だ」。これは85才の松下幸之助が、松下政経塾1期生に投げ掛けた言葉である。政経塾の塾生だった公益財団法人松下政経塾副理事長・イマジニア株式会社代表取締役会長兼CEOの神藏孝之氏が、松下の原点について解説する。戦後に味わった苦境の時代が、哲学者・思想家である松下幸之助をつくった。(全8話中第4話)
時間:07:47
収録日:2018/01/19
追加日:2018/06/19
キーワード:
≪全文≫

●時代が人物を生み出す


 現在日本は、朝鮮半島が不安定になり、中国が猛烈に台頭しつつあるという状況に置かれています。中国は清の時代、第6代皇帝の乾隆帝が清王朝一番のピーク時で、第4代の康熙帝から世界帝国になっていきます。現在の中国の状況を例えるなら、康熙帝を超えて、まだ乾隆帝までには達していないというイメージになるでしょうか。しばしば、「時代が人物を生み出す。時代の苦難に耐えた人間が大成する」といわれます。現代はまさにそうした時期に差し掛かっているのです。


●君らは辛酸をなめていない、猫に小判だ


 ここで、松下幸之助が松下政経塾をつくって1年目の終わりに、1期生の塾生を前にして語った言葉を紹介したいと思います。

 「君らは辛酸をなめていない。つまり君らは心眼が開けていないのだ。経営というものについて、心眼が開けていない。だから分からないのだ。人の育て方や人の使い方、お得意先に対しての仕事の仕方、そんなものは全部、政経塾が持っている。猫に小判という言葉があるだろ。猫に小判だったらいけないが、君らはその猫に小判の方だ」

 政経塾の1期生の中には、「社会保障・税の一体改革」を推進しようとした野田佳彦前総理大臣もいました。彼ら二十数人が1年間の研修を終えたところで、松下が成果を聞き、そこで上の発言が出てきたのです。「お前たちに1年間、寮を与えて、生活の面倒を見て、勉強させたけれども、猫に小判だった」というのです。85歳という老翁が20代の若者に対して、「猫に小判だ」という、ここに真剣さが現れています。


●終戦後、理不尽な目に遭ったことが松下の原点


 彼がどうしてこれほど真剣であったのかは、松下幸之助という人物がどこから始まっているのかを考えると理解できます。松下の歴史の中には3回転換点がありますが、最も重要なのは敗戦からの5年間でした。松下電器は財閥に指定され、財産を差し押さえられました。戦前、自分が進んでやったわけではないのに飛行機や船を造らされ、しかもその金を全く払ってもらえませんでした。しかもこの時、公職追放処分を受けましたから、仕事をしてはいけません。散々な目に遭ったのです。

 彼の政治に対する怒りは、まさに公の怒りです。1945年、50歳の松下は松下電器でその歳まで一生懸命働いてきました。国に協力しろと言われて、そんなことはしたくなかったけれども、飛行機や船を造りました。しかし、戦争が終わってみれば、金は払ってくれないどころか、いわば戦犯に指名されてしまったようなもので、松下電器も財閥に指定されてしまったのです。

 彼はこうして、人生の中でも全く不可解な状況に5年間、放り込まれてしまいました。しかしもしこの空白の5年間がなければ、幸之助はおそらく政治には関与していなかったでしょう。単に「金もうけのうまい、大阪の大金持ちの成金のおじさん」という感じで終わっていたかもしれません。あのように異様に理不尽な目に遭ったということが彼の原点ではないかと思います。

 彼は53歳の時に、戦前の番頭60人を集めて、江崎グリコの江崎利一氏に借りた金で皆をすき焼き屋に連れていきました。そして、「おまえはペンだ。おまえには茶碗だ」と形見分けをしたそうです。その時、どうも彼は自殺も考えていたようですが、死にきれず、敗戦後の怒りがPHPを立ち上げることにつながります。あんないい加減な連中を日本のリーダーにするとひどい目に遭う。松下が経営を誤らなくとも、国が経営を誤れば、それに巻き込まれることがある。こうした思いに至ったことが彼の原点になりました。

 もちろん、そのような目に遭わない方が良かったかもしれませんが、それによって必然的に哲学者、思想家としての松下幸之助への変化が始まるのです。この5年間がなければ、「普通のお金持ちのおじさん」「気のいい、よく寄付をしてくれるおじさん」で終わっていたかもしれません。しかしこの5年間によって、全く違う松下幸之助に変わるのです。自殺を考えたところまで追い詰められながら考えたことから、全てがスタートしていきます。


●20代の最初に人生で最も怖い人に出会えた


 だからこそ、自分がつくった学校が1年目を終えた時、「どうして、販売店や電器屋に行って、そこの店主の苦労が分からないのか」と塾生を叱ったのです。何が間違いであるかを電器屋の店主が教えてくれているのに、君たちは何を学んできたのだ、と。

 つまり私は20代の前半に、人生で最も怖い人に出会ったことになります。松下の目はいつも笑っていませんでした。あれほど緊張感があり、あれほど怖い人は、その後も出会ったことがありません。20代の最初に人生で最も怖い人に出会えたということは、非常にありがたかったと...
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