●どうすれば政治家も商売が分かるようになるのか
松下幸之助の政治ビジョンは、煎じ詰めれば、「無税国家」と「新国土創生論」と「政治の生産性の向上」の3つですが、これを理解するには、逆に「誰がこれに近いことを実践したか」ということを見てみると分かりやすいと思います。
「無税国家」とは、こういうことです。江戸時代、増税する代官は悪代官でした。五公五民といわれましたが、実際は運用上、四公六民ぐらいで、税金を半分も取っていなかったのです。ところが、松下幸之助が日本一の実業家になっていく過程で、国税が70パーセント、地方税が15パーセントで、調整を付けても8割以上もむしり取られるようになりました。この時に彼は、「なぜこんなに高い税金を取られ、しかもその税金が無駄なことに使われて、雲散霧消していくのか」と憤るのです。
「新国土創生論」は、要するに、商売の分かる政治家をつくるということです。松下が1951年に再創業すると、家電ブームが来ます。大衆家電を売って日本一の、世界一の実業家になるわけです。松下幸之助は池田大作氏とすごく仲が良かったのですが、それは池田氏が大衆の心をつかんで日本一になる「創価学会」という組織をつくったからです。
要するに、「需要を創っていく」ということだということです。どうすれば政治家も商売が分かるようになり、無から有を生む発想を持てるのか、考えていました。「政治の生産性の向上」は、説明せずともお分かりいただけるでしょう。
●松下幸之助の政治ビジョンの実践者は鄧小平とリー・クアンユー
結果的に松下幸之助の考え方に最も近いことを実践したのは、鄧小平とリー・クアンユーでした。鄧小平は初来日した時、松下電器の門真市のカラーテレビ工場を訪れています。最新鋭の工場を訪れた際、「本日は幸之助先生に教えを請いに来ました」というようなことを言っています。今の中国では絶対に考えられないような会話です。
他方、リー・クアンユーはシンガポールを発展させるに当たって、無税国家を実現させました。小さい国ですが無借金ですし、1人当たりGDPで見ても、日本は4万3,000ドル程度に対してシンガポールはその倍ほどもあります。テマセクとGIC(シンガポール政府投資公社)というソブリン・ウェルス・ファンドがありますが、この2つの運用資産額の合計は60兆円に達しようかという規模です。まさに無税国家に近い状況です。
●シンガポールは世界で最も低い水準の税率である
リー・クアンユーには有名な涙の独立演説があります。彼はケンブリッジ大学で100年に1度の秀才といわれた人物で、プライドも非常に高かったのです。そのリー・クアンユーがマレー連邦から追放され、シンガポールを1965年に分離独立させます。その時に行ったのが、涙の演説です。
当時シンガポールの人口はおよそ200万人です。島ですから水もありませんし、食料もありません。当然、石油もありません。こうした状況で、どうすればマレー連邦から追い出された200万人を食べさせていけるでしょうか。リー・クアンユー自身にも答えはありませんでした。この最も苦しい状況で、涙の独立宣言を行うわけです。
現在の公用語は英語ですが、独立当初から皆、英語を話せたかというと、そういうわけではありませんでした。イギリスの植民地だったからといって、当時イングリッシュスクールに通い、英語を話せた人は10パーセント足らずだったのです。つまり、200万人のうち20万人しか英語を話せなかったわけです。
しかし、シンガポールが生きていくため、リー・クアンユーは英語を公用語に仕立て上げました。人口の7割が中国系、2割がマレー系、そして7、8パーセントがインド系です。当然ものすごい反対運動の嵐が巻き起こりますが、めげませんでした。リー・クアンユーが必死になって考えた結果、シンガポールは今や、相続税ゼロ、法人税17パーセントと、世界で最も低い水準の税率です。
●アジアの中で自分たちが一番優秀な人材になる
あまり知られていませんが、1941年シンガポールが日本に占領された時、リー・クアンユーが最初にやった仕事は、日本軍の下請けの部品調達でした。日本語は話しませんが、半分ぐらいは分かります。日本軍に教えてもらって良かったことが1つだけあると、のちに回想しています。憲兵隊を徹底的に統制すると、犯罪が起きなくなるということです。これは多少の皮肉も込められているのですが、彼が言っていることです。
彼がシンガポールを発展させたやり方は、アジアの中で自分たちが一番優秀な人材になるということでした。このエリアに来れば、人材インフラがそろっているという状態に...