●「生活の糧」以上に豊かな働くことの意味
労働基準法を中心にさまざまなことをお話ししてきましたが、最後に、「働くこと」そのものについて考えてみたいと思います。
働く人一人一人にとって、働くことの持つ意味は、それぞれに異なると思います。働くことは当然、私たちにとって生活の糧を得るための手段です。多くの人にとって、それが一番大切なことだと思いますが、私はそれだけではなく、働くことは 一人一人が働くことを通じて「何のために生きるのか」という問いの答えを探す道のり、言い換えれば生きている証を社会に刻むことだと思います。そして、誰もが働く中で、例えば、仕事のスキルや組織の中の役割、社会のルールなど、多くのことを学び、これらを通して社会を担う一員に成長して、次世代に多くのことをつないでいく営みだと思います。
また、働くことは人と人が交わりつながる人間的行動であり、人と人がつながればその職場と社会がつながり、そのことで社会的課題を解決し、新たな価値を生み出していく営みだと思います。そのつながりをつくる、いわば橋を架ける人(Bridge Builder)が私たち一人一人なのです。そのことが個人の成長や自己実現を促し、社会の持続可能性を高める原動力になります。さらにいえば、働くことは、さまざまな事情によって、たとえ働くことに多くの困難を抱えたときでも、尊厳を持って社会の中で自立して行けるよう、お互いに支え合う営みをも含むものではないでしょうか。
●働く人にとって必要な5つの橋
加えて、働く人にとって職場は単なる仕事場ではなく、自分の存在を確認できる「拠り所」であり「居場所」でありたいものです。そのためには、働くことにつながる5つの橋を架ける必要があります。
まず、教育と働くことをつなげる橋です。なんびとも平等に教育が受けられ、その教育から働くことへの円滑な移行を支援し、また、働いてからも再び教育が受けられ、より付加価値の高い仕事に就くようにします。
二つ目は、地域と家庭との橋です。結婚や出産、または介護などがあっても、働くことを続けられる、あるいは働くことを中断しても再びスムーズに働くことに戻ってこられるようにするための橋です。
三つ目は、失業との橋です。失業してもセーフティネットが完備されていて、働く意思があれば速やかに労働市場に帰ってこられる仕組みが確立されていることが重要です。
四つ目は、退職との橋です。高齢者でも希望すれば誰でも働き続けることのできる環境を整備することが大事です。
そして、最後は、労働市場の中においても非正規から正規への移行、あるいは本人が望めば、多様な働き方が可能になる、つまり働き方と働き方の橋です。
●橋を架けるために重要な三つの条件
これらの橋を架けるための政策や仕組みを構築していかなければなりません。また、そのために幾つかある条件のうち、ここでは三つのことを提起しておきます。
一つ目は、重層的なセーフティネットの構築です。日本は第二次世界大戦終了後、経済大国になるため高度成長期を迎えましたが、実はその高度成長期には、企業が社会保障や福祉やセーフティネットの役割の大半を果たしていました。それがまさに「企業社会」といわれた所以です。
しかし、グローバル化がどんどん拡大し競争が激しくなる中で、企業はそれらのこと全てをできる状況ではなくなりました。今、それらのセーフティネットは漂流しているのではないかと思うのです。したがって、私たちは、グローバル化、成熟化の中でのセーフティネットの再構築に取り組まなければなりません。もちろん、国が全てやってくれるのが一番いいことではあるのですが、国だけでなく地方自治体、企業、私たち自身、NPO、そしてコミュニティ、さまざまな集団がセーフティネットを再構築していく必要があると思います。
二つ目は、底上げと所得再配分機能の強化による厚みのある中間層の再生です。社会保障、税制によって、所得再配分機能の強化をしていかなければなりません。しかも、現在のように年齢で区切るのではなく、本当に困っている人に再配分機能を強化していくという仕組みに変えなければならないのです。また、一時金、最低賃金、あるいは社会保障の再構築等々、初期分配も非常に重要なことです。そのようなことを含め、厚みのある中間層の再生が必要なのです。
三つ目は、成熟化、そして超少子高齢・人口減少社会において、労働政策を単独ではなく、経済政策や産業政策、そして税制、社会保障政策なども踏まえて、総合的に議論、立案していくことです。そうするべき時代を迎え、今まさに私たちの総合的な視野の広さが求められているのです。