●雇用契約の原則は均等・平等
本日は労働法、中でも労働基準法を中心に、働く現場の実態や課題、そして、これからの方向性なども含めながらお話しします。
働くためには、現実に私たちは経営者に使用されて働くことになります。このように人が使用されて働くことが雇用という概念であり、雇用は法制度の下では契約関係と位置付けられます。したがって、雇用は契約であり、対等・平等という契約の原則が雇用関係の基本となるものです。
しかし、実際には雇う側と雇われる側には、契約内容について交渉する力に格段の差があります。過去には、日本も含めて現在先進国といわれている国でも、低賃金・長時間労働という重労働が法的に正当化されていました。いわゆる貯蓄をしておくことができない私たちの労働力と大きな経済的格差がある状態、また法人・組織と一人の個人との間では、その契約内容が平等な立場になることは極めて困難なものとなります。
●雇用契約不均衡是正のための二つの方法
したがって、このような雇用契約の不均衡を克服するために、先進国では二つの方法が採用されてきました。一つは国による保護です。具体的には、これからお話しする労働法などの法律を作って保護することです。二つ目は労働組合です。一人の個人としてではなく、労働側が団結することによって対等な契約交渉が行われる状態をつくることです。
では労働法から話を始めましょう。
労働法とは、労働関係および労働者の地位の保護・向上を規整する法の総称です。すなわち、働くことに関するたくさんの法律をひとまとめにして「労働法」と呼んでいます。日本の労働法の本格的な形成は、第二次世界大戦後に始まり、労働三法を中心に独自の法分野として確立されてきました。その後は、主として裁判所の判例法理などを取り込んで、労働法の体系を整備していったのです。
●GHQの民主化政策を背景に制定された労働組合法
日本において、労働関係の代表的な法律である、労働組合法・労働関係調整法・労働基準法を「労働三法」と呼んでいます。
労働組合法は、日本国憲法施行(1947年5月3日)より早い1945年に制定され、1949年に改正されました。憲法よりも早く制定されたのは、労働組合結成の促進がアメリカ占領軍の民主化政策の一つであったからだと思います。
1945年8月15日に終戦となり、日本は連合国に占領されることになります。8月末にアメリカのダグラス・マッカーサー元帥が占領政策を実施する連合国軍最高司令官として来日します。マッカーサー氏をトップに連合国・総司令部GHQ がつくられ、占領は間接統治の形を取り、 GHQの意向は日本政府を通して実施されました。10月、マッカーサー氏はポツダム宣言に基づき占領政策の基本を民主化政策「五大改革指令」として表明しました。
その五大改革指令の一つ目に選挙権付与による婦人の解放があります。 二つ目は自由主義的教育を行うための諸学校の開設、すなわち教育改革です。三つ目に検察・警察制度の改革があり、思想弾圧である治安維持法や特別高等警察を廃止しました。 続いて、経済機構の民主化が挙げられ、財閥解体、農地改革・地主制度解体を行いました。そして、五つ目が労働組合の結成だったのです。
●労働三法-労働組合法・労働関係調整法・労働基準法
労働組合法の目的は、その第一条に「労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成すること」とうたわれています。後に公布される日本国憲法28条で、労働三権・労働基本権といわれる団結権・団体交渉権・団体行動権(争議権)が保障されることになります。
二つ目の労働関係調整法は、1946年に公布されました。労働関係の公正な調整を図り、労働争議を予防し、または解決するための手続きを定めた法律です。争議行為が発生して社会生活に影響を与えるような場合には、労働委員会による裁定を行うことを規定しています。労働委員会は、労働者の団結擁護・労働関係の公正な調整機能を目的とする行政委員会です。使用者委員・労働者委員・公益委員が各同数で、国・地方公共団体に設置することが、労働組合法に定められています。
三つ目の労働基準法は1947年、憲法27条「労働権」の規定に基づいて制定された労働者のための保護法であり、労働条件の最低基準を定めた法律です。
●日本の労働者保護の歴史は第二次世界大戦後から始まった
日本の労働者保護の歴史は実質的に、第二次世...