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日本の元号に最も多く使われた漢字は?

元号とはなにか(4)江戸時代と近現代の元号

山本博文
元・東京大学史料編纂所教授
情報・テキスト
1400年におよぶ元号の歴史は、近代に入り「一世一元」へと転換を果たす。天皇一人につき一つの元号とするこの制度は、明治天皇以来まだ150年の歴史しか持たないのである。長い歴史の中、元号にはどのような変化があったのか。シリーズ第4話では、江戸時代と近現代の元号史を確認し、元号の歴史を多角的に振り返る。(全5話第4話)
時間:11:57
収録日:2018/09/13
追加日:2018/11/26
≪全文≫

●江戸時代の元号は幕府が主導


 江戸時代になると、幕府の援助によって朝廷の方も安定します。

 「寛永」の元号は20年続き、後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇と、3代の天皇の元号となりました。代始めの改元がこの間、行われなかった珍しい例でもあるわけです。明正天皇は、後水尾天皇と徳川秀忠の娘の和子との間に生まれた皇女です。この時代には後水尾上皇の院政が行われていたことから、改元は必要がないと考えられたらしく、改元の議が行われないことになったようです。

 江戸時代は基本的に武家の時代なので、こういう事件も起こります。正徳2(1712)年、6代将軍家宣が死去した折のこと。基本的に元号を選ぶ役についていた林大学頭信篤より老中への意見具申がありました。(将軍死去という)凶事は元号に「正」の字を用いたためなので、直ちに改めるようとのことでした。

 家宣の侍講(儒学の教師)だった新井白石は、「元号の字によって凶事が起こることを心配するなら、元号のなかった古代のように、元号などなくした方が良い」と書いています。つまり、元号は朝廷の慣習なので、武家としてはなくてもいいと考える人がいたということです。

 江戸時代は、林大学頭が幕府における儒学教育の全ての面を担当し、改元における勘申者も務めていました。朝廷よりも幕府の事情で改元が行われることが多い点が特徴です。最終的には朝廷が決めるのですが、朝廷に主導権はありません。幕府が主導権を取って改元の議を起こし、改元案を立て、朝廷に認めさせる時代になっていたわけです。


●「明治」の元号はくじで決まった!?


 江戸時代が終わり、近代になると元号が「一世一元」になったのはよく知られています。その過程を確認しましょう。

 慶応2年12月25日(1867年1月30日)に孝明天皇が崩御され、翌3年1月9日(1867年2月13日)に睦仁親王が践祚されて、明治天皇になります。明治天皇は、慶応4年1月15日(1868年2月8日)に元服し、8月27日に即位の礼を行います。そして、9月8日に元号を「明治」に改め、「一世一元の詔」を出すわけです。

 なぜ一世一元(一人の天皇に一つの元号)になったのかというと、中国の明の政策にならったもので、元号によって皇帝や天皇の支配を示すように変えたのです。

 詔には「慶応4年を改めて明治元年と為す」とされるので、その通りなら慶応4年=明治元年ということになります。

 「明治」という元号の決められ方は非常に珍しいものです。前越前藩主の松平春嶽らが考えたいくつかの元号案が「くじ」にされ、宮中の賢所(かしこどころ)で天皇が自らくじをひいて決定したと伝えられます。それまでは貴族や文章博士、江戸時代では林家のような人たちが選んだ元号案から公卿会議を経て、最終的に天皇が決めました。しかし、この時に関しては、先述したようにつくられた案は松平春嶽らのもので、決め方はくじという、史上初めての方法を取ったのです。


●最も短い元号は「暦仁」、長い元号は?


 元号の全てを振り返って、いくつかの指標を見ていくと、短い元号と長い元号ということがあります。

 最も短い元号は鎌倉時代で、四条天皇の「暦仁」が2カ月と14日。1年に達さない期間です。それに次ぐのは奈良時代で、聖武天皇の「天平感宝」が3カ月と15日。これらは非常に特殊な事例ですが、1年から3年で改める元号はおびただしくありました。

 一方、珍しさでいえば、20年以上続くのも、元号としては非常に珍しいわけです。一世一元の時代になった後の明治・昭和・平成を別にすれば、室町時代、「応永」の33年が一番長くなっています。

 それから、平安時代の「延暦」、南北朝時代の「正平」、戦国時代の「天文」が23年で次に長く、江戸時代の「寛永」も20年続きました。

 長い元号には長い理由があります。世の中がうまく治まったからというよりは、むしろ元号を改元するモチベーションが働かなかったり、実際に元号を改元する手続きが取れなかったりしたときに長くなる傾向があります。


●元号制定の主体は公家から武家、内閣へ


 元号制定の主体は、時代によって変化しています。鎌倉時代以降、武家政権の時代には武家が改元に介入するようになるものの、中世(鎌倉・室町)の時代には、選んで決めるのは朝廷の方でした。

 しかし、江戸時代になると、幕府が林大学頭に命じて元号を考案させ、実質的に幕府の方で決めるようになります。ただ、幕府が決めるにせよ、朝廷が日本の支配者であるという意識は持っていました。実質的な権限はなくても、元号案をもとにした勘文・難陳などの伝統的な手続きは必ず行い、最終的に朝廷が元号を決めるという形が取られました。

 現在の改元は、これまでの例でいうと、首相が数名の有識...
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