●教養習得と人生修養のために本を読んだ武家階級
皆さん、こんにちは。新しく企業や官庁に入られた皆さんも、そろそろ新しい環境に慣れてきているところだと思います。前回は、学生生活を終えられて、新しい職業に就き、職場に入られたばかりの皆さんに、書物を読む手がかりや私が考える読書の意味などについてお話ししました。
前回、私は、江戸時代の「寛政の改革」の政治家であった、老中・松平定信について触れました。松平定信は非常に真面目な人でしたから、読書が非常に堅苦しい。それに比べて、謹厳そうに見える吉田松陰が、実は現代で言う雑本や一般書なども幅広く読む人であったことに触れた次第です。
しかしながら、双方に共通・一致しているのは、やはり読書というものが、教養や知識を獲得するための大変大きな手段であった点です。彼らにとっての読書は、教養の習得を通して人生を修養すること、人生において自らを深めていく大きな手がかりであったということに触れました。今とはやや違うのはその点です。
●読書は、活字離れ世代にも与えられた大きな喜び
かつて、武士階級は社会のエリートでしたから、読むべき本が人生のステージ(段階)や年齢に応じて違っていました。それを素直に順を追って読み進めていたということは、前回の松平定信についてもお話ししました。
ところが現在は、松平定信が言う「通俗の書」である文学や芸能関係の書物を読まないどころか、何と申しましても本そのもの、あるいは活字を読まないという学生たちが増えてきました。
新しく社会に出た皆さんは、これからはどうしてもさまざまな形で活字に接せざるを得なくなりますが、現在の若い世代が、インターネットやアニメーションあるいは漫画によって育っているということは、否定できない事実です。
しかしながら、読書というものの意味を考えてみると、やはり本を読み、活字を読むのは、人間にとって無上とは申しませんが、すこぶる大きな喜びの一つを与えてくれる。このことは、だんだんと社会生活を経験していくうちにお分かりになられるかと思います。
●世界中の古典が容易に楽しめる日本文化の素晴らしさ
現在の若い社会人の皆さんも、松平定信や吉田松陰の時代と同じ日本人として、共通する面があります。確かに今、私たちは、この二人の偉大な先人たちのように四書五経や中国の古典などを読む生活には、なかなかなじむことができません。しかし、可能性としては、現在の学生や若い社会人にも書物に接する機会が広く与えられており、その中で、私が大変重視している「古典」という書物のジャンルに接することができ、しかもそれが日本語で読めるというのは特にありがたいことです。
私が日本文化について一番感心するのは、ホメロスを読むのにギリシア語を学ぶ必要もなければ、カエサル(シーザー)の『ガリア戦記』を読むためにラテン語を勉強する必要もないということです。中国の孔子の本を読むにも、現在に至るまでにさまざまに編まれてきた中国の歴史書を読むにも、中国語の勉強をしなくてもよい。日本には立派な翻訳がたくさんありますから、これら古典や書物の全てを日本語で読むことができるのです。
そこで、私たちは楽しみ、ある意味では楽もしながら読むことができる。これは、現在の私たち日本人にとって本当にありがたいことなのですね。
●江戸時代の日本人は、古典と親しく付き合っていた
では、江戸時代までの日本人を考えてみましょう。現在のわれわれと比べると、彼らには本を読む以外に教養や知識を習得するすべがはるかに少なかった。そのために苦もなく書物を楽しめたということがあります。
前回、私が触れた松平定信は、有名なエッセイストでもありました。日本最大の政治家の一人でありながら、エッセイストや文筆家であった定信は、『花月草紙』というエッセイ集を書いています。
その中で、彼はうまいことを言っています。『伊勢物語』は梅のようである、梅の香りのごとくだと言うのです。それでは『源氏物語』は何かというと、桜のようである。『狭衣(さごろも)物語』は山吹のようで、『徒然草』は「くす玉につくれるはな」のようだと言っている。「くす玉」というのは、現在でも正月やさまざまな節句で使う玉のことです。梅のような『伊勢物語』、桜のような『源氏物語』、山吹のような『狭衣物語』、そして「くす玉」につくった花のような『徒然草』と、うまい形容をするのです。
●「古典」読書は、思索を深め感情を解くために
彼らが古典を読んだのは、今の私たちが現代の文学書を読むのと似たようなものだったのでしょう。現代のわれわれは、芥川賞作家や直木賞作家の作品はもちろん、芥川龍之介や志賀直哉のものを読むのに、さほどの困難を感じません。江戸...