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●「ドイツ三大B」はブラームスの売り込み文句?
――前回までベートーヴェンのお話を聞いてまいりまして、音楽にまさに革命が起こりました。ここからは、ベートーヴェンの後に音楽がどうなっていくかというお話をお聞きできればと思います。前回、「ジャジャジャジャーン」の第5番と、「田園」の第6番が双子だということで。
野本 これですね。
<ピアノ演奏>
第5番。そして第6番。
<ピアノ演奏>
ベートーヴェン本人が「田園交響曲」とタイトルをつけ、第1楽章には「田舎に着いたときの陽気な感情の芽生え」と、どういう感情を表現してるのかを明示しました。しかも、第5番と第6番はほぼ同時期に作曲していたのに、まるっきり性格の違う曲です。
ベートーヴェン以後の作曲家の人たちを「ロマン派」と呼びますが、その流れはほぼ19世紀いっぱい続いていきます。実は19世紀のロマン派の人たちは、ベートーヴェンの第5番を最高のモデルにするか、第6番をモデルにするかで、大激論を交わしていったんです。
第5番の交響曲のように、「ジャジャジャジャーン」というリズム1個だけで大交響曲を書いてしまうぐらい、モチーフにこだわって書こうよという人々。言ってみれば、非常に抽象的で、やや理屈っぽく、構築性の高い音楽をつくっていくべきだといった人たちのことを「絶対音楽派」と呼びます。その代表だった人が、ブラームスなんです。
かつてはよく「ドイツ三大B」と言われたものです。ドイツ生まれのドイツ人でありながら、みんな苗字にBが付く。バッハ、ベートーヴェン、そしてブラームス。これ、実は当時のキャッチコピーだったんですね。
――当時と言うと。
野本 ブラームスの当時のキャッチコピー、つまりブラームスを売り込むためのキャッチコピーとしてつくられたのが「三大B」なんです。
今日のキャッチコピーと同じで、「えっ、バッハ? ドイツ民族の英雄じゃないの。ベートーヴェン? 音楽の神様じゃないの。ブラームスもBが付く、すごい!」というふうに、ちょっと、だまされるような感じで、キャッチコピーとしてつくられたんです。どっちにしても、そういうキャッチコピーができるのは、ブラームスがベートーヴェンの音楽の歴史を継いでいこうという人だったからこそなんですね。
●ベートーヴェンを意識しすぎたブラームス
――ブラームスが第1番交響曲を書くのに相当時間をかけたのは、かなりベートーヴェンを意識しすぎてしまったからというのも、有名な話ですね。
野本 そうなんです。ブラームスは40歳を過ぎてから交響曲を書き始めるんですが、それがいかに遅いかと言うと、天才モーツァルトは、35歳で死んじゃっていますけど、第1番の交響曲を書いたのが8歳なんですね。モーツァルトの8歳も、まあ、けしからん感じもしますけれども……。ベートーヴェンも30歳ぐらいのころにすでに書いて、それでも当時は遅いと言われました。(ブラームスは)それよりも全然遅い。40歳というと、普通は熟練の作曲家という扱いになりそうですが。
そこまでブラームスが交響曲を書けなかったのは、やっぱりベートーヴェンという存在があまりにも大きすぎて、そこに到達するのは大変。ましてや、それを乗り越えていかないといけないというのは大変じゃないかということで、なかなか書けなかったんですね。こういう感じの曲です。
<ピアノ演奏>
非常に壮大な感じで始まる交響曲です。これもやっぱり部品、部品、部品の組み立てで、たとえば、
<ピアノ演奏>
あれ? これ、「チャチャチャチャーン、ジャジャジャジャーン」じゃないのっていう感じですし、実はベートーヴェンの第5番の交響曲というのは、ハ短調。
<ピアノ演奏>
ド・ミ(フラット)・ソの調で書かれているんですが、ブラームスの第1番の交響曲もハ短調で、リズムも「運命」のリズムです。
さらに、これは前回言わなかったので補っておきますと、ベートーヴェンはハイドンが決めたオーケストラの中にちょっと楽器を加えたんですね。何が重要かというと、トロンボーンを入れたんです。
トロンボーンという楽器、実は教会で使う楽器なので、大衆のステージで使う楽器ではなかったんです。ところが音量を増加するにはこの楽器を入れちゃえというので、今ではオーケストラの仲間入りをしているわけですが、第5番の交響曲から使い始めたんですね。
第5番はハ短調の交響曲、「ジャジャジャジャーン」のリズムで、トロンボーンを最後の楽章に入れる。ブラームスの第1交響曲もハ短調の曲で「ジャジャジャジャーン」も使い、最後の楽章でトロンボーンが出てくる。もう完全に丸かぶりの曲なんですが、いかにベートーヴェンの第5番の交響曲を意識していたかという表れではないかと思います。


