●脂っこいワーグナーの影響を乗り越えるドビュッシー
―― 前回は交響詩の形成についてうかがいました。その前の「トリスタン」の和音などに非常に影響を受けて、この少し後に出てくるのがドビュッシーですね。
野本 そうです。ワーグナーはドイツ人で、ドビュッシーはフランス人ですが、彼はワーグナーの音楽に一時期、ほんとに熱狂してしまったんですね。そのときに、
<ピアノ演奏>
「トリスタン」のような、今までの和音の規則に縛られない音楽もいいんじゃないかということに気がついていきます。しかし、やがてドビュッシーはワーグナーから卒業していきます。
ワーグナーの音楽は非常に脂っこくて、たとえればバター1本の上にステーキをのっけて食べてるぐらい、すごく濃い肉食系の音楽という感じがします。ドビュッシーは、それに比べれば非常にあっさりした音楽をつくるようになっていくわけですが、そのときにもワーグナーの影響はあって、それを乗り越えていくことになります。
●従来の形式にこだわらず、音楽の多様性を取り戻す
野本 ドビュッシーがもう一つ影響を受けたのは、東アジアの音楽なんです。とりわけインドネシアのガムラン音楽にびっくりしました。というのは、パリでは万国博覧会が頻繁に行われ(日本でも、また大阪万博をやろうとしていますが)、いままでヨーロッパに暮らしていた人々が他のいろいろな異文化を知ることになります。そんななかでガムランの音楽をドビュッシーは聴いて、衝撃を受けたんです。
つまり、「西洋音楽の規則に則らない音楽って、世界にはあるんだ」と、そこで初めて衝撃を受けた彼は、西洋音楽じゃないような感じで、規則に縛られない音楽をどんどんつくっていこうと考えたんですね。
ヨーロッパの音楽は、それこそグレゴリオ聖歌以来、メロディがないと音楽にならないというふうに思われてきたんですけれども、ドビュッシーは、メロディなんて発展させなくてもいいと考えます。メロディを発展させるのはベートーヴェンが得意だったことですが、そういうドイツ音楽的なものでなくていい。断片がいっぱいキラキラ集まってできる、しかも今までの音楽の形式は関係ないような音楽をつくろうとしたのが、ドビュッシーだったんです。
―― そこでまた、西洋音楽の流れが変わっていくわけですね。
野本 そうなんです。とりわけモーツァルトやベートーヴェン以来、ドイツ、オーストリア、ウィーンの系列として発展してきた音楽に、そこからはフランスという全然違う系統の音楽ができます。さらに次はアメリカというものが出てきます。ジャズですね。その結果、多様化していく時代が20世紀に起きてくるんです。
それまでは、「ベートーヴェンが最高!」という価値の一元化した時代だったんですが、20世紀になってくると、「いや、別にそうじゃないのもいいんじゃない」というふうに多様化していく。その一人がドビュッシーだったというふうに言えるのではないでしょうか。
―― その動きを受けて、20世紀の音楽にはストラヴィンスキーなど、いろいろな人が出現して、多様な流れをつくっていくということですね。
野本 そうですね。
●「標題音楽派」の末裔、マーラーの人気
―― もう一つ、交響曲の流れでいうと、オーケストラで最近人気なのがマーラーですとか、ブルックナーですとか、あのあたりの19世紀後半の人たちですね。
野本 はい。マーラーという人は、実は「標題音楽派」の末裔のような感じなんですね。それこそワーグナーの影響がすごく大きくて、最初の頃に書いていたのは、やっぱり交響詩だったわけです。ベートーヴェンの影響と思われますけれども、やっぱり交響曲に歌を取り入れていきます。その究極の姿といってもいいのが、やっぱりマーラーでしょうね。
彼の交響曲は、10曲と言うべきか11曲と言うべきか迷いますが、今ではオーケストラの演奏会では、マーラーを取り上げるとお客さんが入るというほど人気の作曲家になっています。しかし、マーラーも生きていたときは、それほど恵まれなかったんですね。「いずれ私の時代がやって来る」と言って亡くなっていきます。その後7、80年経つと、とうとうマーラーは本当にクラシックの音楽として定着いたしました。
―― クラシック音楽的にマーラーの音楽を分析すると、どういう意味があるんですか。彼は確かに交響曲にこだわるというのも、不思議なところがありますし。
野本 そうですね。マーラーという人は、本職はウィーン・フィルとかの指揮者だったので、作曲は夏休みにしかすることができなかったんです。歌曲もいっぱい書いていますが、交響曲にも力を入れていました。
●あらん限りの感情を、ありとあらゆる表現で
野本 マーラーの交響曲がなぜ人気になったのかということとも関係...