●「交響曲の父」ハイドンが決めたこと
――前回お聞きしたようにバッハまで来た音楽形式は、さらにどう変わっていくんでしょうか。
野本 バッハは、時代的に言うと徳川の8代将軍吉宗と生没年がほぼ同じです。江戸時代は15代までありますが、そのちょうど真ん中ぐらいがバッハでした。その後、ハイドンという人が出てきます。
ハイドンは「交響曲の父」といわれます。交響曲というのはまさにオーケストラのための曲ですから、ヴァイオリンが発明され、発展していって、オーケストラでの使い方がさらに発展していった結果として、ハイドンの交響曲につながっていくわけです。
――ヴァイオリンは、ある程度その段階で固まっていたということですけれども。
野本 ヴァイオリンは、ほとんど生まれたときにもう固まったままですね。
――ただ、その当時の管楽器とかは、多分まだ発展途上のかたちですね。
野本 そうなんですね。とくに金管楽器は非常に発達が遅かった。皆さんのなかにも、吹奏楽・ブラスバンドに親しまれた方も多いかと思いますけれども、ブラスバンドで使っているようなトランペットやトロンボーンやホルンのような金管楽器が、今のように自由に音が変えられるようになるのはもう全然、後のことです。今からそれこそ150年ぐらい前ですから、金管楽器の発展はまだ新しいんですね。
――楽器の進歩や発展はあるにしても、どういった編成でやるかというかたちについては、ほぼ決まっていたのですね。
野本 そうなんです。どういう楽器を取り入れてオーケストラにしよう、交響曲ではこの楽器を使おうというのを決めたのがハイドンなんです。
●「交響曲の父」は「オーケストラの父」でもあった!
野本 ハイドンは普通には第104番まで交響曲を書いたといわれていて、「交響曲の父」の名前もあります。考え方によってはもうちょっと少ないんではないかと言う人もいれば、いや、オーケストラの曲だったらみんな交響曲と言えるからももっともっとと数えると、ハイドンは150曲ぐらい作っている。まさに「オーケストラの父」でもあるという感じですね。
その構成ですが、弦楽器は第1ヴァイオリンに第2ヴァイオリン、ちょっと大きいヴィオラと、股に挟んで立てて弾くチェロ、そしてもっと大きいコントラバス。こういう弦楽器を主体としつつ、木管楽器としてフルート2人、オーボエ2人。そして、実は...