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若狭湾で発見された3艦はどのような潜水艦だったのか

若狭湾海中調査と潜水艦曼荼羅(3)見つかった3艦の歴史

浦環
東京大学名誉教授
概要・テキスト
浦環氏のチームが発見した潜水艦は、どのような歴史を辿って若狭湾に沈んでいたのであろうか。戦争中から終戦後にかけて、日独両国の関係や艦長たちの歴史に特にスポットをあて、若狭湾に沈められるに至った経緯がひも解かれる。(全10話中第3話)
時間:10:16
収録日:2019/03/14
追加日:2020/02/27
キーワード:
≪全文≫

●若狭湾で発見された3艦はどのような潜水艦だったのか


 この3つの潜水艦を含む日本の潜水艦などの終戦後の歴史に関しては、防衛庁の防衛研究所の戦史部がまとめています。これは1979(昭和54)年に戦史部が発行した本ですが、「伊121、呂68、呂500、昭和21年4月30日に若狭湾において米軍処分」と445ページに書いてあります。これはこの通りで、正しいのです。

 この3艦はこのような形をしています。呂500はユーボートで、長さがおよそ70メートルです。次に、伊121は少し大きいのですが、機雷敷設潜水艦として使われており、潜りながら機雷を撃っていました。次に、呂68は少し古く、水中部分の絵がないのですが、このような中型の潜水艦です。

 ちなみに、日本海軍の取り決めで、伊は1,000トン以上、呂は500トンから1,000トン、その下に波(いろはのは)という等級がありますが、波は500トン未満の潜水艦を指しています。

 それぞれの歴史を申し上げますと、呂500はユーボートですが、1941年12月8日、太平洋戦争が始まった日に竣工(しゅんこう)しています。なかなか意味深ですね。ドイツでつくっています。排水量は1,000トンを超えていますが、呂に分類されています。潜航時のスピードは7.7ノット、浮上時は18.3ノットです。

第一次世界大戦でも、第二次世界大戦でも、潜水艦は潜れる軍艦のようなものなので、水中速力はあまり速くありません。呂500は7.7ノット、伊121は6.5ノット、呂68は8.6ノットですが、水上速度に比べて水中速度は極めて遅くなっています。また、伊も、呂も、ユーボートも、航続距離が長いのが特徴です。呂500は、13,000海里となっています。これだけ航行できるというのは非常に重要です。だからこそ、ドイツは日本にこれを持ってきたのです。


●若狭湾に沈められる前の3艦の最後の姿


 これはわれわれが持っている、3艦の最後の写真です。これは去年の今頃、手に入れたのですが、一番右がユーボート呂500ですね。真ん中は伊121です。よく見るとペンキで名前が書かれています。この舳先(へさき)にも書かれていますが、真ん中の潜水艦には呂68と書かれています。一番左側には伊121と書かれています。これは見ればすぐ分かりますが米軍が間違...
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