●3艦はどこに沈んでいたのか
それでは、次は調査の内容についてお話ししたいと思います。この図は、発見したマルチビームソナーによって得られた3艦のデータを示しています。呂68、呂500、伊121です。深田サルベージは、おそらく呂68は呂68として見つけていたのだと思います。しかし、もう1つ見つけたものを伊121として報告していますが、実際には呂500を見ていたのではないかと思います。彼らの調査報告書の中の記述を見ると、大きさはほとんど同じで、形もそれほど大きな特徴がありません。80メートルの深さでは、そう長時間潜っていられないので、十分に調査できなかったのでしょう。ただ、プロなので、ある程度外形などは調べています。
位置的にはここが冠島で、丹後半島があり、船宿、つまり船のガレージのようなものがあり、有名な伊根町の漁港がここです。この辺りは京都府の人たちの漁場になっているようです。われわれがマルチビームソナーで調べたのがこの範囲です。およそ7~8時間、2日にわたって、この観測を続けました。
なかなか見づらいのですが、一番南にある丸が呂68、それから真ん中にある丸が呂500、一番北にある丸が伊121です。探索範囲がこのような形をしているのには、理由があります。最初は真ん中付近を調べていて、すぐに呂500が見つかりました。ここから南下していくと、呂68を発見して、2艦沈没していることが分かりました。
その次に、もう1艦の探索に移りました。まず南にあるかもしれないので南を調べて、それから北に向かいました。まず北東の部分を調べましたが、ここにはありませんでした。最終日に、北西部にあるに違いないと推定して、探索を進めました。このように推定しなければ、面積が広くて、探索はなかなかうまくいきません。
最初に2艦が見つかったので、その2艦の延長線上に残りの1艦が沈没しているのではないかと考えられます。2艦の延長線上にあるとすると、等間隔で沈没しているとすれば、北西のこの辺りではないかと推測されました。ただ、この時には真ん中の沈没船が呂500であるという確証はありませんでした。一番北の沈没船は呂68ですが、真ん中が伊121であって、3艦が一直線上に並んでいると仮定すれば、呂500は南東の方角にあるかもしれない。
この仮定の下に、南東の辺りを探索していました。しかし、真ん中の沈没船が呂500であれば、伊121は北西にあるはずです。
実際に発見された場所はここです。最終日、4日目で相当疲れていたのですが、探索を始めてすぐこの場所で見つかったので、万歳といったところでした。
●調査の中で得た映像の詳細な解説
これは呂500のマルチビームソナー映像です。非常にきれいに形が残っています。横倒しになっておらず、ちゃんとした形で鎮座しています。キールや、ブリッジを見ることができるので、潜水艦であることは間違いありません。
こちらはより分かりやすい映像です。右側に潜舵(せんだ)が見えています。さらにその先は舳先です。先ほども言いましたが、この映像は80メートルの深さで撮られたので、1パーセントの解像度とすると、80センチに1個の点を取ることができます。この船の長さは約70メートルなので、横に約100個の点があります。ですので、かなり細かいところまで見ることができます。この映像では潜舵が見えていて、ブリッジの大きさから考えても、ユーボートであると推測できます。
今のデータを横から見たように描き直したものが、こちらの映像です。
下にあるユーボートの図面に当てはめると、ブリッジの位置が合致していて、舳先から後方部まで残っているということが分かります。
この映像は、ROVを用いて撮影した、決定的なシーンです。左下の図面は、呉で作られたものです。先ほど述べたように、ユーボートはドイツから呉に来航しました。来航した後呉で、この船はどのように使えるか、この船の技術をどのように利用すれば良いか、などを調べました。その際の図面によれば、右側にムアリングホールという部位が見て取れますが、それがこちらの映像に映っています。
先ほどの写真を見ると、伊121と呂68が並んでいますが、舳先の形がそれぞれ違います。ムアリングホールが付いているのは、ユーボート、呂500だけです。
もちろん全く異なる潜水艦、例えばア...