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潜水艦を通じてさまざまな技術が日本に伝えられた

若狭湾海中調査と潜水艦曼荼羅(7)船と人と技術の関係

浦環
東京大学名誉教授/株式会社ディープ・リッジ・テク代表取締役
情報・テキスト
浦環氏は今回の若狭湾における調査の過程で、ユーボートに関するさまざまな情報を調べてきた。その中で、今回発見された潜水艦が、他の潜水艦や、多くの人、そして現在も用いられている技術の伝播と関係していることが分かった。その数奇な関係を、曼荼羅図とともにひも解いていく。(全10話中第7話)
時間:10:43
収録日:2019/03/14
追加日:2020/03/26
≪全文≫

●曼荼羅が結ぶさまざまな潜水艦、人、そして技術


 それでは続いて、U-511、ユーボート呂500にまつわるいろいろな出来事や事実が、実は今、われわれの生活に大きく関係しているということに関してお話ししたいと思います。題して「呂号第五百潜水艦を取り巻く潜水艦と人と技術の曼荼羅」ということです。

 先ほど一部はお見せしましたが、こちらが曼荼羅です。われわれ、ラ・プロンジェ深海工学会は、伊58をはじめとした潜水艦を五島沖に発見しました。それから、そのことに関連して、深田サルベージにデータを共有していただき、それが若狭湾での呂68、伊121、呂500の発見につながっていきました。

 伊58は、以前お話ししましたように、インディアナポリスを撃沈しています。インディアナポリスの艦長はチャールズ・マクベイです。彼は軍事裁判にかけられて有罪になりましたが、伊58の艦長であった橋本以行がそれを否定する証言をしています。橋本以行は、伊58に乗る前に呂44という潜水艦に乗っています。また、われわれが伊58を発見する数週間前に、ポール・アレンがインディアナポリスを発見していますが、彼は武蔵、比叡も発見しているというのは、こちら側の話です。


●呂500が連れてきたハンス・シュミットと日本の溶接技術の進歩


 こちら側とはまた別に、呂500にまつわる話としては、先ほど言いましたように、野村直邦という海軍大臣がこの潜水艦に乗って日本に帰国しています。それに加えて、この際に、溶接技師であるハンス・シュミットという人を連れてきています。
 
 私は船舶工学科を出て、造船に関しては学生の頃に講義を受けていたのですが、日本の溶接技術は素晴らしいのです。戦後の日本では、その溶接技術を用いて造船会社の復興が進んでいきます。東京大学でも溶接を研究している方はいらっしゃいますし、大阪大学では溶接研(現大阪大学接合科学研究所)という研究所ができています。
 
 それにもかかわらず、ハンス・シュミットの名前は、私は聞いたことがありませんでした。いろいろ調べてもなかなか分かりませんでした。私の講演に来てくださった方から聞くところによると、この人はどうやら呉の造船所で溶接そのものではなく、溶接をしやすい材料、つまり、溶接性が良い材料を日本に伝えたそうです。呉にそのような資料が残っていることを教わりました。これは潜水艦の溶接技術なのですが、恐らくこの溶接技術を使って、伊201型という潜水艦を日本は開発します。

 伊201型潜水艦とはどういうものかというと、高速水中潜水艦です。20ノット水中速力を出すことを目標につくられました。実際にはそこまでの速度は出なかったのですが、日本はそのような高速潜水艦の開発に取り組んでいました。

 実際には実戦配備はしていません。できたときに、使えるようになったのは伊201を含めて3艦あったのですが、そのうち2艦はアメリカが持っていってしまいました。残りの1艦は先ほどお話しした高後崎沖、つまり、深田サルベージが見つけた潜水艦のそばにあるはずです。深田サルベージは、その中に伊202があると実は知っていましたが、それは見つけられず、波しか見つけられなかったと教えていただきました。

 このそばに、崎戸沖という場所があるのですが、そこに伊202があるはずなのです。しかし、それは見つかっていません。ハンス・シュミットを通じて伊202がつくられたのですが、日本の溶接技術の進歩は、この呂500が乗せてきた技師が伝えたというストーリーがあるのです。


●U-1224をドイツから運んでこようとした日本人たちの運命


 それから先ほど言った野村直邦は、その後海軍大臣になっています。もう1つ、ドイツは日本に対して、U-511と同時にU-1224という潜水艦を譲っています。U-511の方が先に日本に向かうのですが、U-1224は日本人の艦長と乗組員によって、ドイツから日本に来ようとしました。U-511、呂500は先ほど言ったように、シュネーヴィントが艦長だったので、ドイツ人の乗組員で日本まで航海してきました。それに対して、U-1224は日本人の艦長と乗組員で日本まで航海しようとしていました。

 この日本人の乗組員は誰だったのでしょう。ドイツに日本人がいたはずがないので、日本人乗組員をドイツまで運ぶ必要があったのですが、その際に用いられたのが伊8です。伊8が日本とドイツを往復して、潜水艦を通じた日独のやりとりを行っていたわけですが、その内容については吉村昭氏が書いた『深海の使者』(文藝春秋)というドキュメンタリー小説に詳しく書かれています。その記述の中で、呂501と呼ばれるU-1224は大西洋で撃沈されて沈んでいます。ですから、日本にはたどり着いていません。この潜水艦にはさまざまな資料が乗っていまし...
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