●曼荼羅が結ぶさまざまな潜水艦、人、そして技術
それでは続いて、U-511、ユーボート呂500にまつわるいろいろな出来事や事実が、実は今、われわれの生活に大きく関係しているということに関してお話ししたいと思います。題して「呂号第五百潜水艦を取り巻く潜水艦と人と技術の曼荼羅」ということです。
先ほど一部はお見せしましたが、こちらが曼荼羅です。われわれ、ラ・プロンジェ深海工学会は、伊58をはじめとした潜水艦を五島沖に発見しました。それから、そのことに関連して、深田サルベージにデータを共有していただき、それが若狭湾での呂68、伊121、呂500の発見につながっていきました。
伊58は、以前お話ししましたように、インディアナポリスを撃沈しています。インディアナポリスの艦長はチャールズ・マクベイです。彼は軍事裁判にかけられて有罪になりましたが、伊58の艦長であった橋本以行がそれを否定する証言をしています。橋本以行は、伊58に乗る前に呂44という潜水艦に乗っています。また、われわれが伊58を発見する数週間前に、ポール・アレンがインディアナポリスを発見していますが、彼は武蔵、比叡も発見しているというのは、こちら側の話です。
●呂500が連れてきたハンス・シュミットと日本の溶接技術の進歩
こちら側とはまた別に、呂500にまつわる話としては、先ほど言いましたように、野村直邦という海軍大臣がこの潜水艦に乗って日本に帰国しています。それに加えて、この際に、溶接技師であるハンス・シュミットという人を連れてきています。
私は船舶工学科を出て、造船に関しては学生の頃に講義を受けていたのですが、日本の溶接技術は素晴らしいのです。戦後の日本では、その溶接技術を用いて造船会社の復興が進んでいきます。東京大学でも溶接を研究している方はいらっしゃいますし、大阪大学では溶接研(現大阪大学接合科学研究所)という研究所ができています。
それにもかかわらず、ハンス・シュミットの名前は、私は聞いたことがありませんでした。いろいろ調べてもなかなか分かりませんでした。私の講演に来てくださった方から聞くところによると、この人はどうやら呉の造船所で溶接そのものではなく、溶接をしやすい材料、つまり、溶接性が良い材料を日本に伝えたそうです。呉にそのよう...