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プラザ合意から凋落…日米半導体戦争に屈した負の半導体史

半導体から見る明日の世界(8)日米半導体戦争の歴史と教訓

島田晴雄
慶應義塾大学名誉教授/テンミニッツTV副座長
概要・テキスト
1980年代、日本は経済バブルのピークを迎えると同時に、DRAMの半導体ではほぼ世界を制覇するほどまでに発展した。敗戦の壊滅状態からわずか数十年で日本の経済力はアメリカに次ぐ世界第2位の地位を築いた。そして、半導体分野で日本に追い越されたアメリカは、一転して日本叩きに猛進した。日米半導体戦争ともいわれるもので、そこで行われたのが有名な「プラザ合意」である。それは、現在の米中対立の中国への締めつけの比ではなかった。今回は日本の半導体の歴史をひも解きながら、日米半導体戦争の教訓を学ぶ。(全12話中第8話)
時間:12:03
収録日:2023/07/14
追加日:2023/10/16
キーワード:
≪全文≫

●世界を制覇した日本の半導体の歴史


 さて、そこで現代までのところを全部見ましたが、ちょっと歴史を振り返ってみたいと思います。

 1980年代の後半に日本の半導体産業が世界市場を席巻して、それまで世界市場を支配していたアメリカを追い上げて、アメリカの半導体産業を窮地に追い込みました。そういう時代があったことは皆さんよくご存じだと思いますけれども、しかしその後、日本はもう坂を下るように凋落していって、今は半導体の「主戦場」といわれているロジック半導体は、ほとんど日本では作れないのです。

 そこで、なぜそのようなことが起こってしまったのかということを、まず一緒に考えておきたいと思います。それを理解できないと、次に日本がどのようなことができるのかというヒントも得られないと思います。

 では、1980年代に日本が世界を席巻したその前に、どのようなことがあったのかですが、これは皆さんよくご存じのように、1960年代、1970年代と日本は高度成長しました。その時、1979年にアメリカのエズラ・ヴォーゲルという学者が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を著しました。これを、「日本がナンバーワンだ」と言っている人がいますが、そうではなく、アズというのは仮定法ですから、「もし日本がナンバーワンだったらどうする」ということをアメリカに対して言った本なのです。

 そのように、世界が大騒ぎするほど日本がすごかったのです。生産財については石炭から始まって、鉄鋼、造船、機械とどんどんきて、最後は半導体まできたのです。アメリカはまさか日本が半導体までくるとは思わなかったのです。そして、日本の半導体企業はあまりにもすごくて、どんどんシェアを伸ばしてアメリカのシェアを食ってしまったわけです。

 1978年に福田赳夫首相が渡米した時、アメリカの業界の人たちが寄ってたかって、日本はひどい、参入障壁はあるし、政府が補助をしているし、流通システムはまったく不透明だと文句を言ってきました。その後、レーガン政権時、通商法301条に基づいて提訴などがどんどん出てくることになったのです。

 この当時、日本の半導体産業は何をやっていたかというと、DRAM(Dynamic Random Access Memory)というものです。これは当時、IBMなどが持っていた大型コンピュータの記憶装置で、日本はものすごい高品質なものを作ったようです。

 当時、IBMが突き...
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