●武士道も騎士道も「心の問題から生まれた武力」
―― ヴィクトリア朝は、みんなそれぞれ「後ろめたさ」と「恥」を持っていたのですね。
執行 ここが、やはり凄いところだと、私は思うのです。
―― 日露戦争までの日本人も同じですね。「後ろめたさ」や「恥」、そして何とかしないと、という……。
執行 日本人も、恥を持っていました。「西洋人に比べると劣っている」と、いい意味で思っていました。「だから、なんとか頑張らなければならない」と。
―― 内村鑑三とか新渡戸稲造がキリスト教を理解できたのは、バックボーンに武士道を持っていたからですね。
執行 もちろん、そうです。だから、研究してもらえるとわかりますが、武士道は本当に、西洋のキリスト教の中心思想とまったく同じなのです。冗談抜きで、神と殿様の入れ替えだけなのです。
―― なるほど、神と殿様を入れ替えたら同じことになるんですね。
執行 まったく同じ。これはね、恐ろしいほどです。ですからキリスト教が生み出した「騎士道」などは、もっと一緒です。
―― なるほど。日本は大家族制から始まって、天皇が長で……。
執行 天皇というのは、大家族の宗家です。
―― その宗家を守るための一つのツールとして武士がいて、そこで武士道が出てくる。似ているわけですね。
執行 だから、そのような宗教的な考え方が生み出した武力だということです。同じ武力といっても、近代国家のように戦争をするために生まれた武力ではないのです。騎士道も、全部研究してもらえるとわかりますが、信仰を守るために生まれた武力です。
―― ここは大きいですね。
執行 大きいのです。だから、騎士道と武士道は、なぜあれだけ戦いにもルールがあり、卑怯なことはしないで潔いかというと、実は「心の問題から生まれた武力」だからなのです。今の近代国家が生み出した「戦争のための軍隊」とはまったく違うということです。
―― 信仰を守るために生まれたものですね。
執行 そういうことです。だから、例えば証拠としては、西洋で有名だったテンプル騎士団やドイツ騎士団、それから聖ヨハネ騎士団など有名な騎士団が昔はたくさんありました。あれは全部、聖地巡礼に行くためのヨーロッパ人の安全を守るために生まれた騎士団ですから。騎士団というのは全部そうなのです。
―― こういうふうに見ていくと、なぜおかしくなった...