●各国における情報の透明性をどれだけ担保できるのか
―― 難しいところですが前回、国際協調の重要性を今お話しいただきました。そうすると、国際協調をしていくためには、それぞれが情報をどの程度オープンにしているかが問題となります。その辺りの信頼性を今後担保できるのでしょうか。むしろ今回の問題で、この点が傷ついてしまったのではないでしょうか。
小原 感染症との戦いにおいては、やはり政治やイデオロギーを入れてはならないと思います。感染症の問題がなぜ毎回のように起こってくるかというと、感染症そのものにも問題があるのですが、感染症の専門家によると、ウイルスは変異するので必ずといっていいほど新しいウイルスがまた出てくるということです。
しかし、政治家も大衆も、ウイルスを一過性のものだと捉え、一度終息すると忘れてしまいます。そのため、同じ過ちを繰り返さないようにすることを意識し、専門家だけでなく政治家や大衆も一緒になって、次の感染症の襲来に備えることが重要です。われわれがそれにどう立ち向かうべきかということについて、共通の認識を持つプロセスを、必ずつくったほうがいいでしょう。
●感染症の問題に立ち向かうための大事な6つの要素
小原 この問題に関しては、幾つかの大事な要素があります。第1に、スピードです。第2に、まさに今おっしゃった情報の透明性です。第3に、科学に基づいたコミュニケーションです。やはり正確性が重要だからです。例えばデマの問題があります。WHO事務局長も、デマの問題を非常に恐れており、これが走り回ると、むしろ有害になります。しかしどの情報が正しいのか分からず、国民のなかでも不安になることもあるでしょう。これについては、専門的な知見を持った科学者の意見に基づいて、コミュニケーションをしていかなければなりません。
例えば、武漢で亡くなった若い医師である李文亮さんは、2019年12月末に、この感染症の危険性を訴えましたが、それが届かず当局によってデマだと見なされました。こうした声がデマなのかデマではないのかについて、一般大衆は判断できません。
今回のケースを通じて、どうやって正しい情報を速やかにシェアできるのかを考え、そのための社会づくりをしていく必要があることが、一層明らかになりました。現代では情報化がものすごく進んでおり、ネットを開けば山のような情報があります。そのなかで、一体どれだけの情報が正しいのかは、定かではありません。やはりこうした問題のためには、政治と科学的知見のある専門家集団が、信頼関係を築き、その連携を図る必要があります。政治を持ち込んではいけないとは言いつつ、そうした意味では、やはり政治家の役割は大事だと思います。
第4に重要なのは、資金です。WHOに対する資金提供を含めて、やはりお金は重要です。第5に、想像力です。何万人が死んだのか等、数字が頻繁に報道されます。しかし、そうした数字の背後で、どのようなことが起きているのかという点も重要です。数字だけでは分からない、ものすごく痛ましい状況や教訓とすべきことがたくさんあるのです。日本でも毎日のように何十人も感染し、亡くなられている人もいます。しかし、その背後に一体何があったのかを究明していくことが、次に来るウイルスの襲来に備える、1つの近道だと思います。
第6に重要なのは、政治的な勇気です。ポピュリズムという言葉もありますが、そうしたことではなく、国民が痛みを覚えるものであっても、それが重要な措置であるならば、歓迎されなくてもそれを求めていく姿勢が重要でしょう。国民に納得してもらえるような説得や働きかけをしないといけないでしょう。
同時にそれは、グローバルなリーダーシップによるものでなければなりません。G7のような指導者が、一致団結して共通の敵に立ち向かうために、国境や民族の問題などを超えて協力していくということが、非常に大事です。
●政治的思惑を超えてどこまで国際協力できるか、政治が試される問題
―― コロナウイルスの状況を見ていると、公衆衛生問題は各国の安全保障の問題に直結することなので、各国が独自に体制をつくっていて、なかなか情報の共有がなされていないように思えます。その意味で、ウイルスに対してまとまって立ち向かっていくための体制が整っていないのではないかという議論もあります。その点についてはどうお考えでしょうか。
小原 安全保障というよりも、政治の問題があると思います。アメリカであれば大統領選挙があるので、みんな選挙の問題を考えます。あるいは中国の場合にも、共産党の権威や習近平国家主席の権力基盤などを考慮します。そうするとどうしても、その都度の判断や情報発信は、政治的な要素が関与せざるを得ません。
その辺りをどこまで振り払って判断でき...