●サラリーマンは「志」で考えれば「楽」になる
執行 僕なども自分の理念に基づいて、僕の場合は個人だから「志」ですね。自分の志以外のことは、もう一切人生にない。志というものがドーンと立ったら、それ以外のものはありません。
田村 楽になりますよね。
執行 それ以外のものがなくなるのを志というのです。だから、志は立ったけれど、「ああだから志ができない」とかいうのは、志ではない。
田村 平凡なサラリーマンが、だんだんと志が持てるようになったのです。これは「現場」です、「行動」です。これは口で、「志を持て」といっても駄目ですよね。行動するじゃないですか…。
執行 サラリーマンの場合は、会社の「理念」をまず受け入れるところからです。僕は立教出身だから、立教という学校が建った理念を勉強する。でも、立教の校史を読んでも駄目。日本で立教という学校を建てた人間の「魂」と対面しなくては駄目なのです。だから、立教の創設者のウィリアムズという聖公会の主教の伝記を日々読んでいる。それが立教出身の人間の理念になるのです。
田村 「立教の拠って立つもの」「キリンの拠って立つもの」、ここに入れたのですね。
執行 慶應 義塾大学なら福沢諭吉、早稲田大学なら大隈重信になるのでしょう。僕は、こういう人たちは、「昔の人」ではないと思う。何百年経とうが、その学校を建てた人の魂は、その学校に生きています。
会社も同じですよ。だから、キリンでも同じことなのです。田村さんは割と知らず知らずにやっていますね。
―― 志ということを考えると、先ほど議論が出た「自由」が重要なのでしょうね。
執行 そう、「自由」です。そうなるのです。社員は僕を見て、「すごく自由だ。柔軟だ」といいますよ。
田村 自由があると楽で、これがないと不安なのです。同期より出世が遅れた、偉くないとか、不安におののいて、定年を迎えてしまうのです。でも、「志」があると、あとは自由ですから、「ここに向かえばいいのだ」ということになる。これは、先ほどからいっているように、現場のいろいろなやり取りをしながら、できることなのです。
●親の借金を背負った西郷隆盛
執行 だから、その志は、今までずっと話してきたように、一番汚いものを引き受けた人間が掴んでくる。
家族でもそうです。各家に欠点もありますよね。その一番の欠点を引き受けた人が、その家系の一番良いものを志として立てているのを、僕は歴史的に見てきました。あらゆる人がそうです。
例えば一例を挙げると、西郷 隆盛。有名な話ですが、彼は西郷家にあったすべての悪い因縁を全部自分の責任として引き受けている。一番わかりやすいのは、借金。西郷隆盛は、生涯のほとんどを親の借金返済に使っているわけです。
でも、それを全部引き受けたから、あの西郷隆盛という人間が生まれ、偉大な理念が生まれたのだと僕は思う。「親の借金は、親の責任」ということで逃げるような人間だったら、西郷隆盛にはならない。
借金というのは一番わかりやすい因縁、宿命ですね。今は法律で、親の借金を返さないでいいと認められているけれど、そういうことをしているから、すべての人の宿命が立たない。親子は一心同体なのだから。親から良いものももらっているけれど、親の欠点も引き受けなくては駄目だということです。
―― まさに、過去を全部背負うということですね。
執行 全部、「背負う」という言葉です。
―― だから、自分で責任を取らないと自由にもならないということですね。
執行 「自由か、然らずんば死か」というのは、そういうことです。自由というのは、そういう一番汚いもの、一番嫌なことを全部引き受けること。
田村 確かにキリンビール全体を引き受けようと思っていましたね。理念をすべて引き受けるんだ、と。そういうふうに思わないと、会社は変わらないのですよね。
執行 絶対そうだと思いますよ。それを知らず知らずにやったのは才能ですよ。
田村 状況が最悪になっていましたから。でも、他の会社に転職しようというのは、なかったですね。昔、キリンビールが偉そうな顔をしていて、今は反発もあるけれど、しようがないから受け入れるしかないという感覚でした。
●夫婦も会社も「問題」を切り捨ててはいけない
執行 転職しようと思うと逃げてしまうので、理念のなかにある裏側とか、いろいろなものを引き受けられない。夫婦の問題も離婚してしまおうと思ったら、解決できるわけがない。
誰でもそうですよね。離婚は絶対しないと昔の人は思っているから、どんな問題があっても解決するし、ここが重要なのですが、「解決しなくてもいい」のです。現代人はこれが駄目ですね。
―― そこは、おもしろいところですね。
執行 僕の親父とかおふくろの...